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介護・健康

2018年8月17日 (金)

百日紅

 8月も半ばを過ぎ、今朝は涼しかった。久しぶりに窓を大きく開けたら、百日紅が咲いているのが目に入った。

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 15日は敗戦忌。6月に94歳で亡くなった母は、最後の2年ほどは認知症が進み、あまりしゃべらなくなった。そしてしまいには取りつかれたように、戦争の思い出しか語らなくなった。辛かった思い出より、楽しそうに語ることが多く、戦下の暮らしの一体感が青春の思い出のすべてだったようだった。
 認知症の人の話は、批判したりせず、受け入れたほうがいいとよく言われる。でも「勤労奉仕に、一緒に行ったわよね」と話しかけられたときは、さすがにそうはできなかった。「行かないよ! 私は戦後生まれだもの!」と、大きな声を出してしまった。
 
 ネットの記事によると、「米の戦略爆撃調査団の世論調査によると勝つと思っていたのは25%。その大半は10代後半の少年少女、純粋培養の世代だ」とある。母は大正末の生まれだから、この世代に近い。母に最後まで居座った戦争の記憶のものすごさには、恐怖さえ感じた。

 もしかしたら全国にはまだまだ、戦争の記憶に取りつかれたまま、高齢を迎えている人が、大勢いるのかもしれない。そして元気なら黙って耐えられるが、心身が弱ると記憶がマグマのように噴き出してくるのかもしれない。

2018年8月13日 (月)

『リウマチ患者さんのQ&A』(第2版)  日本リウマチ財団  2017.12.22

 この本は春に今の医者に替わったときに、必要で買ったものである。A4版100ページほどのパンフレットのようなものだが、とても役に立った。
 私は20年ほど前からのリウマチ患者で、ずっとMTXとステロイドを飲んできて、それなりに調子はよかった。去年秋の大病をきっかけに病院を替わったところ、新しい医師は「その処方は古い。副作用が心配だ」とおっしゃる。私はあわてて新知識を得ようと、ネットを見たり本を探したりした。なかなかいい本がない。みんな少し古いのである。私は自分に処方されるらしい「新薬」、バイオ製剤について知りたかった。

 この本は去年の末に出て、日本リウマチ財団のホームページに出ている記事が、もとになっているようだ。生物学製剤、つまりバイオ製剤が、もう新薬とは言えないほど普及しているのが、よくわかった。種類も多く、その効き方とか薬価などについて、とてもわかりやすく書いてある。ときに難しい内容もあるのだが、免疫の話はだいたいが面倒なものなので、我慢して読むしかなかった。

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(母が亡くなって疲れが出たのか、今までの薬のエスケープ現象なのか、検査結果が急に悪くなり、抗リウマチ薬がまた替わりました。朝の強張りが少し出て、両肩が痛く、水泳に差支えが出ています。でも見たところは普通らしく、患者を知らない人には、まず全く理解されませんね。家事や外出はできています)

2018年7月 3日 (火)

母とホーム

 母はうちの近くの有料老人ホームで、88歳から94歳までの6年間を過ごした。法的には介護施設ではなく、コレクティブハウスと言われるところで、行動の制限がほとんどなかった。毎週、訪問歯科医が来てくれ、内科の診察もあったが、医療に手厚いところではない。わりに元気な人が多く、介護保険を使わない人が、全体の半分以上いた。母はその中で目立って虚弱なほうで、最初から仲間と散歩にでかけることなどはできなかったが、食後にオセロゲームを楽しみ、絵や百人一首の会には、認知症が進んだ最後のころまで、よく参加していた。認知症になると何もできないから、収容だけしておけばいいというのは、大きな間違いだと思う。この初夏にはいっそう弱ったので、併設の介護施設に移ることも検討したが、時間がなかった。

 90代になると、3人いた兄弟が次々に亡くなり、古い友人からの便りも途絶えてしまった。ときどき寂しそうにしていたので、うちに帰りたかったのかもしれない。しかしそのうち=家も、入居前にひとりで住んでいた小さな家ではなく、戦前に親兄弟と住んでいた山の手の大きな家に、だんだんなっていった。長生きするのも、なかなか難しいことなのである。

 介護にはいろいろな形がある。また家族の事情もさまざまで、長い間には変わることもある。自宅介護でさえあれば幸せというのは、もう違うだろう。超高齢者が安心して過ごせる環境が、もっと整備されてほしいと、その予備軍として強く思っている。

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(毎月開かれている百人一首の会。母はよく札を取りました。戦前の女学生の教養だったのかも。なおここには、母は写っていません)

2018年6月 7日 (木)

新版 ステロイドがわかる本『』   宮坂信之・編著

 もっと楽しい本はないのかと言われてしまいそうだが、豊富に時間が残されている身ではないので、必要な本から手にすることになる。
 ステロイドというとすぐに「副作用」という言葉を連想し、顔をしかめる人が多いが、実際にはたいていの人が、一度はお世話になっている薬である。皮膚炎、ぜんそく、花粉症・・・。私は20年近く、リウマチの治療のために飲んできた。最初は5ミリ、のちに3ミリになった。それがこの3月末に、あっという間に終わりになり、それから何となく調子が整わない。たぶん離脱症状なのだろう。痛みは生活の意欲を削ぐ。

 リウマチは最初の1年半くらいは合う薬が見つからず、絶えず全身がきしむように痛んだ。ステロイドが出たときは、副作用は怖かったけれど、痛みで眠れないようなことはなくなり、やはり感謝した。必要なときには必要な薬だと、つくづく思った。

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(患者や家族向きに、ていねいな説明がある本です。こういう本は最新のを買うこと)

 ステロイドは自分の副腎で、毎日作り出されているらしい。それが薬として服用するようになると、副腎がさぼるようになってしまうのだとか。20年も飲んでいたのだから、私の副腎は作り方をすっかり、忘れてしまったのに違いない。70にもなって思い出すのかしら? 医者に聞いたら「時間がかかるかもしれないけど、出るようになる」と。
 わが副腎に、期待するしかないようです。




2018年5月 3日 (木)

5月 

 いい季節になった。それなのに、今日は出かける気になれない。どうしてだろう? どうも2日続けて活躍すると、3日目にはぐったりするようになったらしいのである。下町の句会の次の日が水泳スクールに当たっており、コーチがいいのでつい参加してしまった。去年入院手術するまでは、いつもこんなスケジュールで、平気だったのに・・・。

 水泳は長くやっていれば、骨量維持にずいぶん効果があるそうだ。リウマチの専門医が言うのだから確かなんだろう。先日、骨の検査をしたところ、20年近くリウマチでステロイドを飲み続けていたわりには、結果がいいと言われて驚いたところである。水泳のせいだろう、と。

 庭のバラが満開で、これも20年くらい咲いている。ガリカ種で西洋中世の絵に出てくるタイプ、初夏にしか咲かない。棘がすごくて剪定には厚い手袋がいる。バラに言った。「お互いに元気でいたいよね」。

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よきことの二日続きて聖五月〉   こはる

2018年4月28日 (土)

医者通い

 4月は6回もお医者さんに行った。大病院で大腸外科の検査と診察(手術のアフターケア)、同じ病院のリウマチ科で骨密度検査と診察・治療(注射3本!)、近所の歯科クリニック。いい加減にウンザリして疲れた。病院なんて健康じゃなければ、そうそう行かれないと言いたくなった。
 結局、検査結果はどれもまあまあで、歯医者でさえ掃除だけで済んだ。ありがたいと思わなければならないのだけど、まだ疲れが残っている。

 母のホームを訪ねた。認知症が進んで介護度が上がり、ボンヤリしていることが多くなった。母は94歳になるが、寝たきりではなく、食事もひとりで食べる。私は母の歳まで歩けるだろうか、自信がない。私と母とは22歳違い、こうも高齢化した社会では、似たような年齢とさえ感じる。

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(ホームの近くのお宅に咲くモッコウバラ。iPodで撮りました)

2018年3月 4日 (日)

クロッカス

 忙しくしていたら、庭のクロッカスが咲いているのに気づかなかった。慌てて雑草を整理した。花の数が減ってきている。去年の秋は病気で入院し、球根を植えられなかったからに違いない。球根は植えてさえおけば、必ず大きな花を咲かせるが、毎年花を楽しみたかったら、ときどき植え替えておくことだ。

 リウマチ医が変り、薬が大きく変わりそうだ。原因は去年の病気(大腸癌)で、リウマチ自体が悪くなったわけではない。私はもう20年も関節リウマチで、処方も18年ほとんど同じ、ステロイド(プレドニゾロン3ミリ)とMTX(リウマトレックス8ミリ)を飲み続けてきた。かつては最先端の治療だったのに、今はまた違ってきているようだ。あまりに浦島太郎でも困るので、『リウマチ患者さんのQ&A』(第2版・日本リウマチ財団編)という100ページほどの本を読んだ。知らない薬の名前がゾロゾロ出ていて、時の流れを感じる。
 新しい主治医のもとで、さっそくステロイドは激減、新薬の注射(シムジア)となった。一般に、ステロイドは急に減らすと、関節が腫れたり痛んだりするのだが、なぜかそうならない。手の指にあった小さな結節や、肘のわずかな痛みも消えている。新薬のおかげなのだろうか。

 リウマチも癌も面倒な病気で、専門書と患者向けの超平易な本との差が大きい。インターネットのほうがいい記事があるが、ネット使わない患者も多いと思う。新書のような形で、新しく出してほしいものだ。

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2018年2月14日 (水)

水泳再開

 手術から4カ月、体力は戻ってきたが、体重が戻らない。食べているのだから、もう気にしないことにした。世の中には痩せたい人のほうが多いのだ。服から指輪、靴までゆるくなったのには閉口するが。

 水泳教室に復帰することにした。もともと中級クラスにいたのだが、体力を考えて初中級に。コーチは顔なじみである。今日は2回目で背泳ぎ、その前は平泳ぎ。以前と同じように泳げる(大したことはない)のは不思議なくらいである。体のどこかが覚えていたらしい。泳いだ後で、メチャメチャ疲れるようなこともなかった。じきに中級クラスに戻れそうだ。バタフライは中級でしか練習できないのである。

 日差しが強くなり、春を感じる。お見舞いにいただいた蘭の花も満開で、かすかにいい香りがする。

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2018年1月 4日 (木)

母のホーム

 久しぶりに母のいるホームに行ってきた。実に4ヵ月ぶり。でも母は、最近ではいつ私が来たのか、全く覚えていないようだった。4ヵ月前と同じように、ニコニコと喜んでくれただけ。私がしばらく姿を見せないことは、たぶん薄々わかっていたのだろうが、どうしたんだろうとか、変だとは考えていなかったらしい。それもありがたいのかもしれない。

 母のいるホームの玄関には、こんな大きな看板みたいなものが建っている。

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 自由な雰囲気で知られている有料老人ホームで、30年以上の歴史がある。つまり介護保険のないころからあって、2000年の介護保険導入のときには、入居費を大幅に下げた。地元に住む一家の経営で、支店などはない。介護棟と自立棟があり、自立棟は一日中出入り自由、20年ほど前には、ここから仕事に行く入居者もいたと聞く。今は入居者の平均年齢が90歳近くなり、ふつうの介護施設に近づきつつあるようだが・・・。
 母は自立棟に住んで5年になる。自立棟では元気のあるほうでなく、認知症もだんだん進んできている。それでも新年会などの行事には参加、百人一首大会などにも出たとか。
 施設長(女性)にお会いして、新年のご挨拶をしてきた。穏やかで考えの深い人で、この方と夫君の施設社長の人柄が、このホームの雰囲気の良さを支えていると、改めて思った。

 目下、建て替え工事が進んでおり、新しい介護棟が完成していた。ごくふつうのアパートを思わせる造りである。

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2017年10月31日 (火)

土鍋 

 大腸の手術をしたのだが、その後の食事制限は全くなかった。もっとも術後2日目は流動食、翌日は五分粥、翌々日は全粥という順序はあったが、おかずはあっという間にふつうになってしまい、蒟蒻やきのこ類まで出たくらいである。食事のたいへんおいしい病院で、これには感謝している。
 退院のときも「食べ過ぎなければ、何でもいいんですよ」。でもお粥に慣れてしまい、今でも毎食ではないが、主食だけこの土鍋で炊いている。ころんとした形の小さな一人用土鍋。しばらく世話になりそうだ。

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