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読書メモ

2017年5月24日 (水)

『火山で読み解く古事記の謎』  蒲池明弘  文春新書

 三輪で素麺を食べたら、古事記が気になってきた。これは南九州に鬼界カルデラを造った7300年前の巨大噴火が、古事記の基本を形成したという説の本で、たいへんおもしろい。たとえば八岐大蛇は、大山や三瓶山の爆発で出た溶岩流・火砕流であると言う。
著者がこうした考えを得たきっかけは、2011年の大震災。日本は火山と地震の国で、そのことが歴史や精神文化に、決定的な影響を与えているに違いないと思ったそうである。もちろん地学的な証拠を積み重ね、現地調査もしての論である。文章はきわめてわかりやすく、とても読みやすい。参考文献に名著の誉れ高い『火山列島の思想』(益田勝実・講談社学術文庫が上げられていて、これも読んでみたいと思った。

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(私の父方は出雲に縁が深く、それも読む動機となりました。そして昨今の風潮から、古事記についてこうした自由な論議をする本が、そのうち出版されなくなるのではないかと、少し心配になったこともあります)


2017年4月16日 (日)

笑える本

 桜も散ってしまい、なんとなく不調。疲れたのだと思う。楽しい本を抱えて、今日は少しお休みである。

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 左の『その他の外国語エトセトラ』(黒田龍之介 ちくま文庫)は、この著者が好きだからで、ずっと以前に読んだ『羊皮紙に眠る文字たち』(現代書館)のおもしろさは、今も忘れられない。専門はスラブ語だそうで、この本にもロシア語や東欧諸国語についての話は多い。でもそれ以外のほとんど世界中の言語が、話題となっていて、みなユーモアあふれる楽しい記述なのである。いわゆるトリビアものではないし、ツールとしての外国語習得の勧めの本でもない。日本語しかわからなくても、充分に楽しめる。著者の黒田氏は父親が噺家だとか。びっくりしたけれど納得できた。

 『怪盗ニック全仕事』(E・D・ホック 創元推理文庫)はアメリカのミステりー短編集。Book Offで見つけたもので、価値のないもの(たとえばプールの水とか)を専門に盗みを請け負う泥棒が主人公である。原作は1960年代後半だから、古いといえば古い。ミステリーはDNA鑑定と携帯電話の登場で、雰囲気が全然違ってしまったが、これはある意味、古きよき時代の物語である。このシリーズは人気があるらしく、短編集が何冊も出ていて、日本でも最近4冊目が出た。

(私は国文出身なので、英語などは高校まで、あらかた忘れてしまいました。第2外国語はフランス語、これも忘れた・・・。ただそのときの先生が、ソシュール言語学で有名な小林英夫氏で、授業の合間にノルウェー語の話などをしてくれて、言語学っておもしろいのかもと思った記憶だけが、鮮やかに残っています。そんなわけで、言語学者の本はたまに読みます。田中克彦もおもしろいですよ)

2017年4月 8日 (土)

『ぼくの東京全集』  小沢信男  ちくま文庫

 1927年に東京で生まれ、ずっと東京で暮らしてきた作家の、東京をめぐる文章を集めた文庫オリジナルである。内容は紀行・小説・エッセー・書評・俳句・詩などさまざま、60年以上にわたる作品群で、文庫編集者からの申し出で編まれた本らしく、作者は「東京の話もこれで最後だろう」と言っている。
 だいぶ以前に同じ作者の『東京骨灰紀行』を読み、紀行文の人なのかと思っていた。実際、最初に書いた散文の題は「新東京感傷散歩」で1952年、これを花田清輝に認められて文壇デビューしたらしい。しかしもともとは、現代詩人で俳句も作っていた。この「全集」には小沢氏の多面性がよく出ていて、どれもとてもいい。
 東京に住んでいても、東京に興味のない人は大勢いる。日本に住んでいても、日本に関心がない人だっている。それがあながち間違っているとは思わないが、クールでスマートな外見だけが好きで、愛国心を声高に主張するが、それを築き上げた歴史や文化には、何の関心も持たないというのは、やはりおかしいと思う。小沢さん、もう少し長生きして! もう一度、東京の土の下に眠る人々(神社に祀られるような偉い人でなく)の声を、伝えてください。

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あるじまた日永の散歩留守に候〉   小沢信男

2017年3月31日 (金)

『アプリで学ぶくずし字』   飯倉洋一・偏  笠間書院

 なかなか読めるようにならない「くずし文字」、KuLaという学習支援アプリがあるのは知っていたが、そのガイド本が出た。100ページに満たない小さな本だが、自分で学ぼうという人には朗報である。

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 KuLaは「クーラ」と呼ばれていて、Kuzushi-ji Leaning Applicationの略、無料のアプリでiPad、 iPhoneはもちろん、Android系のタブレットやスマホでも使える。「まなぶ」機能と「よむ」機能に加え、SNSで「つながる」機能があり、わからない字を教えあったりできる。パソコンでは使えないそうで、かわりに「みんなで翻刻」というサイトがあるそうだ。ちなみに私はiPadで使っている。
 学生が授業の合間や通学の電車の中で、ちょこちょこ勉強できるので好評と聞く。若返った気分で、楽しんでみよう。

 別の本(『くずし字で百人一首を楽しむ』 中野三敏)の帯で、かのロバート・キャンベル先生曰く。

文字を忘れた日本人よ、江戸の理解は平仮名から

 

 




2017年3月15日 (水)

『俳句の海に潜る』  中沢新一・小澤實  角川書店

 帯には「俳句はアースダイバーの文芸である」とあって、少し毛色の変わった本である。まだ前半しか読んでいないのだが、中沢節が全開で、彼が好きでない人には、ついて行けないかもしれない。

〈中沢 もしも俳句が時代に添って詠まれていくものであったとしたら、俳句じゃないじゃないですか。俳句は常に、今、ここにいる人間の外に行って、鳥になったり、動物になったり、死者になったりするわけだから。今、ここにある現実の中に一緒になっていって、それを言語化して「サラダ記念日」みたいになったら・・・それは俳句じゃないと思う

 中沢は俳句に潜むアミニズムを強調したいようである。それが現代日本に潜む古代的なものにつながると言いたいらしい。
 かつて村上春樹が、「結局、自分は今の日本を、現代的な都会の日本と、その底に流れる暗い古代を書きたいのだ」という意味のことを、どこかに書いていたが、思わずそれを連想した。もちろん私は中沢も村上も好きである。

〈中沢 和歌と俳句はどこが違うか。和歌は秩序を作る権力と一体で、その原理を壊さないで行われる芸術行為です。ところが俳句は、連歌もそうですが、結社の芸術です。つまり秩序を作っている意識から離脱して、自分の生存条件を限りなく自然に近づけていったところで発生する詩で(後略)、俳句自体が結社、こういう結社性を取り除いたら俳句はないと思います

 これも異論が出そうだ。困ったことに、俳人の小澤實が反論らしいことをしていない。今の結社が権力的でないとは言い切れないような気がするのだが、中沢は現実の結社とは違う次元の話、たとえば集合的無意識などを語りたいのだろうか。対談はここからまた別なところに流れて行く。

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(中途半端ですが、書評ブログを書くほどの腕はないので、ご勘弁を。続きはもちろん読みます。いずれまた)

2017年2月12日 (日)

『考古学崩壊──前期旧石器捏造事件の深層』  竹岡俊樹 勉誠出版(2014)

 読むきっかけは、以前にこのブログで紹介した中公新書の『ヒト』(島泰三・著)だった。日本人がいつごろ列島に来たのか、そしてそれはどういう人だったのかを知るには、石器の解析が欠かせないことを、そこで知ったからである。そして2000年のあの捏造事件。この本の著者は、あの事件の告発者である。事件後13年たって、ようやく自分の知るところを書く決心をしたそうだ。

旧石器時代研究は困難であるが、人類の二五〇万年の歴史、私たち人間がどのように成立したのか、どのような存在であるか、を知ることができる唯一の学問である。学問自体は極めて有望、そして有用である。人生をかける価値は十分にある

〈(私の論点は、ホモ・エレクトスが作るものは彼らの生物学的特質によって規定され、ホモ・サピエンスの作るものとは異なる。(中略その観点から見ると、(捏造によって)日本で復元された原人の姿は、これまでの先史学・人類学が積み重ねてきた成果に反し、ホモ・エレクトスの概念からはるかに逸脱している

 捏造は認められ原人ブームは去ったが、事件の責任は曖昧なままで、現在の著者は、日本の学界では不遇だと聞く。今でもあの事件の影響は残り、石器時代の話がときに眉唾のように感じるのは、私だけではないだろう。学問としての旧石器研究はどうあるべきなのだろうか。著者も言うように、文系だけに収まるものではなさそうだ。

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(amazonのレビューにもありましたが、地の文と引用分とが見分けにくく、読みにくさにつながっています。著者の責任ではなく、編集・組版のせいでしょう。一読の価値があるおもしろい本だと思います)

2017年1月29日 (日)

『辺界の輝き』  五木寛之・沖浦和光  ちくま文庫

 最近の五木寛之は、歴史家・思想家の趣がある。この本も、海や山で旅に生きた人々の築いた生活と歴史を、仏教思想や差別民問題をからめながら、社会思想史家の沖浦和光と自由に語り合っていて、とてもおもしろかった。五木は北九州の山地の出身、沖浦は瀬戸内の海の出身だそうである。2人の子供のころの思い出を聞くだけでも、日本にもいろいろな社会があったのだとわかる。

 私は東京の市街地で育ったので、山も海もよく知らない。父方は山陰の医者や神主などの一族の出身だが、母方は海を思わせる苗字で、三重の門徒、祖父は僧侶だった。この本を読んで、母方の一族が海に関係があった可能性に、初めて気づいた。海の民には門徒が多いのだそうである。家系図では、男系ばかりたどろうとするから、わからなくなってしまうのだ。

五木 日本社会の差別構造の中で、ともするとわれわれは、単純に「差別する側」と「される側」と二つに考えている。けれども、実際は複雑な重層構造になっていて、差別の鎖というか、そういう絡みあいの中に、今も現実に生きている人たちがいる

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(五木氏には、引き揚げ者だったという思いが、とても強いのだと思います。この本の表紙の写真は瀬戸内海。中扉の次のページには、鞆の浦を歩く著者2人の写真があります)

2017年1月 5日 (木)

『つるかめ食堂──60歳からの健康維持レシピ』 ベターホーム出版局

 このところ、出かけると夕方疲れてしまい、食事の支度が億劫になることが続いていた。おまけに食べ過ぎると気分が悪くなる。あきらかに以前より、食べられなくなってきているのである。どうしたものか?

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 よく回らなくなった頭を抱えて、この本の助けを借りることにした。もともと大食ではないので、気をつけるべきは、むしろ低栄養である。しかし私の母はずっと貧栄養だったのに、92歳で自立歩行。人間の体って、どうなっているんだろうかと思うことがある。話が逸れた。

 「おいしければ、一汁一菜でも満足できるものである。二菜目や三菜目が欲しければ、酢の物・和え物・漬け物・煮豆・など、煮炊きしないものにすればいい」(大意

 基本はこれ。誰でもやっていることだ。この本には、昔作っていたものをアレンジすれば、できそうな料理がかなりある。ただ昔のようにバブリーでないだけで、油や内臓などは控えめ、「食べたら動く」なんていう忠告もついている。早速、自分の料理ノートに書き写す(台所の引き出しに、メモ帳が一応あるのです)。「つるかめ」とは、シニアの総称らしい。

(昨晩はおでんでした。25センチの浅鍋にいっぱい作り、2人で完食。出汁は自家製で、合わせ調味料は使いませんでした。うちには○○の素の類がほとんどなくて、娘によく文句を言われます・・・)

 

2016年12月30日 (金)

年末年始の2冊

 『新編 洛中生息』(杉本秀太郎・ちくま文庫)は何となく手にした本で、あまりきれいでない中古だったが、読み始めたら無類におもしろかった。杉本氏は2年ほど前に亡くなってしまったが、京都の「杉本家住宅」の当主だった人である。町屋の暮らしをユーモアたっぷりに、しかも滋味あふれる文章で書いた、エッセーの名品として名高いものだ。

近ごろ、私の季感は鵯によって明確にされる。この鳥に対する嫌悪を介して、私の季感が形を帯びるのである

 今から40年ほど前に書かれた文章。当時からすでに京都の町は荒廃していて、鵯(ヒヨドリ)のような卑しげな野鳥が、町屋の庭にまでやってきて、花や実を食い荒らすと、杉本氏は憤慨しているのである。鵯はうちにもよく来て騒ぐ鳥なので、おかしくて笑ってしまった。この一文は初冬を描いたもの。私はこうした地味で古めかしい文章が好きだ。この人のものをもう少し探して、読んでみようと思った。ちなみに本業はフランス文学者。

 もう一冊の『俳句と暮らす』(小川軽舟・中公新書)は新刊で、この著者は私の古文書解読の先生の、俳句の師匠である。帯に「平凡な日常が、かけがえのない記憶になる」とある。紹介されている下の一句は、阪神淡路大震災のときのもの。

寒暁や神の一撃もて明くる〉 和田悟朗

 平凡で穏やかな日々を過ごしたいものだ。

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(皆様、お元気で良い年をお迎えください。来年もどうかよろしく)

2016年11月27日 (日)

白川静先生

 遠い昔、仕事で白川先生にお目にかかったことがある。30年近く前で、先生は80歳くらいだった。小柄でしっかりした体つき、目が黒々と輝き、オーラがあった。事典の甲骨・金石文関係項目の、内容チェックをお願いしたような気がする。頼りないオバサン編集者に、先生はとても優しかった。
 この3冊は文庫本だが、ものすごく厚くて読み応えがある。いちばん読みやすいのは『回思九十年』、先生90歳を記念して出された回想記と対談集である。あとの2冊の『文字逍遥』『文字遊心』はエッセー、3冊とも平凡社ライブラリーに入っている。ゆっくり楽しんで読みたい。

漢字が教育の妨げとなり、人の思索や創造力を弱めていると考えるのは、大きな誤りである。努力しないで習得される程度のものが、すぐれた文化を生むと思うのは、横着な考え方というべきであろう

 現代の日本語教育には危機を感じておられたようだ。

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(足を痛めて外出できない日が続いています。11月は俳句の会の吟行や、高校時代の仲間と出かけたりなどが続き、そのうえ補聴器の試聴に通ったりしているので、どうも足を酷使したらしい。もともとかなり健脚でした。リウマチになり大けがをしたのに、以前の習慣というか感覚が、なかなか改まりません。嘆かわしい・・・)

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