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読書メモ

2018年2月24日 (土)

『がん──4000年の歴史』上下  S・ムカジー/田中文・訳  ハヤカワノンフィクション文庫

 原題はThe Emperor of All Maladies──A Biography of Cancer。上下2巻、800ページを超える長編で、ピュリッツァー賞を受賞している。Amazonのレビューの評価も非常に高い。でも、とにかく長かった。長すぎると私は思う。4000年にもわたる癌の伝記ということだが、実際には19世紀の末ごろからの癌研究史で、素人が今に役立つ知識を得ようとするなら、下巻の200ページ目くらい、染色体の話が本格化するあたりから読んだほうがいいのではないかとさえ思った。もっとも、この長大な記述の中に、癌の複雑さや不可解さ、怖さが存分に出ているわけで、一を聞いて十を知るどころか、百を聞いても一さえおぼつかない高齢の私などには、話がおもしろいだけ、よかったとも言えそうだ。

がんはわれわれのゲノムに組み込まれている。無制御な細胞増殖を引き起こす遺伝子は、生体にとって決して馴染みのないものではなく、生命維持に不可欠な細胞機能を担う遺伝子の変質した、ゆがんだバージョンなのだ。(中略)ヒトという種の寿命が延びるにつれて、悪性の細胞増殖が避けがたく解き放たれてしまうのだ

 以前に、スーザン・ソンタグの闘病を息子が書いた本(『死の海を泳いで』D・リーフ著 岩波書店)を、読んだことがあるのを思い出した。ソンタグは40代で進行した乳癌を患って克服、それから約20年近くたって子宮肉腫を患い、これも化学療法を駆使して克服した。それは彼女の誇りになっていたはずだ。そして70代になって骨髄異形成症候群になり、72歳で亡くなった。このムカジーの本にはそのことが出てきて、彼女はおそらく前の2回の化学療法が原因で、骨髄異形成症候群になったのだろうと書いている。治療が新たな癌を呼ぶ・・・、癌の治癒とは何なのだろうと、一人の術後患者として、考えないではいられなかった。

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(実はまだ最後の2割を残しているのですが、疲れすぎないうちに・・・。この本を教えてくださったのは、まちこさん。感謝です)

2018年2月16日 (金)

『美術の力』  宮下規久朗  光文社新書

 総カラーの美術をめぐるエッセー。帯にはこうある。

いったい、美術にはどれほどの力があるのだろうか。心に余裕がある平和な者には楽しく有意義なものであっても、この世に絶望した、終わった者にも何か作用することがあるのだろうか

 著者はそれを自分で試してみているようである。後書きに4年前に娘を病気で亡くし、何事にも興味がなくなったとある。その中で巡礼のように各地の絵を見て回り、これを書いた。絵を見るとはどういうことなのか、深く考えられる文章が続き、心に残るものだった。
 もともとカラバッジョの専門家として有名な人で、この本にもイタリア絵画の話が多いが、絵巻物や藤田嗣治の絵など、日本のものも含まれている。読んでいるうちに、今までの自分の偏った印象が直され、一層鮮やかになった個所が、いくつもあった。著者は、絵を見るというのはかなり知的な行為で、知識を持って鑑賞したほうが得るものが多いと断言している。絵の前でボンヤリ感心して眺めているだけなのは、もったいないのかもしれない。

 耳が悪くなって以来、目からの情報に頼ることが多くなった。テレビより本、映画館より美術館がいい。

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(日本画にも詳しい方で、とてもおもしろかったです。四国の金刀比羅宮が美術品の宝庫だなんて、知りませんでした)

2018年1月21日 (日)

『我々はなぜ我々だけなのか』  川端裕人・海部陽介  講談社ブルーバックス

 副題は「アジアから消えた多様な人類たち」。実際の著者は科学ジャーナリストの川端氏で、理論的バックボーンはすべて海部氏。ほんの5万年前までアジアには、ホモサピエンス以外の「人類」が、たくさん住んでいたという、ドキドキするような本である。2003年、インドネシアで小さな人類「フローレス人」が見つかったときの驚きは、私でさえ記憶がある。人類は、猿人→原人→旧人→新人と順番に進化したと、大昔に習ったような気がするが、そんなに単純な話ではないらしい。交雑も充分に考えられるようだ。本の末尾近くにこうある。

ぼくたちの中に彼ら(文中のジャワ原人などを含む)はいて、ぼくたちの一部である。そのような可能性を感じるだけで、自分自身も、ホモ・サピエンスという種も、限りなく開かれた存在に思えてくる

 発掘現場を訪ね、研究室を訪れ、種としての人間とは何かに迷い、これからの人類進化の方向についても考える川端氏の文章は、とてもわかりやすくて、大きな旅に同行するような気持ちになった。

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(表紙の写真はフローレス原人の復元模型)

2018年1月19日 (金)

『藤沢周平 遺された手帳』  遠藤展子  文藝春秋

 著者は藤沢の一人娘で、表紙の題字はその一人息子、つまり藤沢の孫が筆で書いている。著者の生まれた昭和38(1959)年から、練馬区大泉学園に引っ越す昭和51(1976)年までの13年間、藤沢が書き残した4冊の手帳が原資料で、昭和48年に直木賞を受賞し、翌年49年に専業作家となる間の日々を、娘の解説で知ることができ、作家誕生秘話という趣がある。

 自分の作品に辛口だった周平だが、ときにはこんなことも。

〈…人間の不可解さのようなものに触れていて、それが無理に割り切ろうとしていないとこがいいのかもしれない

 その通り。今でも読まれるのは、時代小説として、筋がおもしろいからだけではないのだ。藤沢は70歳になる前に亡くなっているが、老年についても40代からすでに、強く意識する人だった。

豊穣で静かな青春の風景というもの。それは当時はみえず老年になって、はじめてみえてくるものだ

 そして62歳のとき、ある雑誌のインタビューに、こう答えている。

格好よく年をとりたいとかは全然思わなくて、年をとるごとに非常に醜くなっていく、それで結構だと思っています

 年をとって、自分の人生と折り合いをつけるのは難しい。93歳の母のいる老人ホームを訪れるたびに、そう思う。せめて自分の老年を、ひたすら嘆くのではなく、そこそこ受け入れて、ときには友と笑い合いたいものだ。

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2017年12月29日 (金)

『須賀敦子の手紙』  須賀敦子  つるとはな

 1975年から1997年の間に、アメリカ在住のコーエン夫妻に宛てた手紙55通の集成。カラー版で封筒や切手の色が美しく、須賀の自筆の文字を青いインクで読むことができる。活字体になっているのは一部、手書きの文字が読みづらいと思うのは、私だけなんだろうか。

 1997年2月24日の手紙には、藤沢周平の『三屋清左ヱ門残日録』を読んだとあって、藤沢を評して、

〈・・・最近亡くなった、「英雄」の姿を「日本人」に重ねて書きつづけた司馬遼太郎の対極にあるような作家で、何かに癒される、といった感じが私をほっとさせてくれます

 「対極にある」とはまさにそのとおり。さすがに鋭い。病床で読む藤沢周平に慰められる人は多いのだ。病気でも生きていていいのだと思わせる何かが、藤沢にはある。そしてそれと全く同じものは、須賀敦子にもあると私は強く感じる。来年はたしか、須賀敦子が亡くなって20年のはずである。

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もうじきお正月です。今回は準備はそこそこにして、のんびり過ごそうかと思っています。今年もブログを読んでくださって、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください




2017年12月11日 (月)

角川 新字源 改訂新版

 この10月末に発売され、どうしたものか考えていた。旧版は校正を仕事にしていた私の、相棒とも呼べるものであった。もうリタイアして久しく、辞書なんてたまに引く程度だ。たいして必要ないかも・・・・・。でも長く改訂版が出るのを待たれていた辞書で、「ああ、やっと出たんだ」と感慨があった。改訂作業に10年かかったそうである。詳しくはhttps://kadobun.jp/readings/60

 紙面が大きくなり2色刷り、ページも増えている。この辞書には今のところ、電子版がない。iPadで有料の辞書を使っているが、出先ではたいへん便利なもので、これもそのうち電子化してほしい。

旧版の辞書捨てられず年の暮れ〉  

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(右が旧版で1968年発行、これは90年代にフリーになってから、買い替えたものです。左が今度の改訂新版。ちょっと大きくて厚い。箱がないのは邪魔だからなんです)

2017年11月15日 (水)

『中国文学の愉しき世界』  井波律子  岩波現代文庫

 近所の本屋で何となく買ってしまった本。ソファに寝そべりながら、たちまち読んでしまった。中国史上の奇人、奇想小説の紹介などのほかに、若いころからの学びの遍歴も書かれていて、ほぼ同世代の私にはそれもおもしろかった。師の吉川幸次郎や作家の高橋和巳の思い出も出てくる。

 半世紀ほど前、井波律子は京都大学で、第一外国語にフランス語を選び、同級生の多くは仏文に進んだそうである。でも井波は中文。「中国のほうが広くて歴史がある。文芸も豊かで多様に違いない」と思ったからだというから、1965年前後の女子大生として、すごい判断だ。今でも通用する正しさだと思うが、当時の京大文学部の中文には、それだけの魅力があったのだろう。

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(井波律子は、過度に漢文調でない普通の文章語で、中国文学の世界を門外漢に語ってくれるすてきな人です。岩波新書の『中国の五大小説』(上下2冊)も、すごくおもしろかった記憶があります)



2017年11月 5日 (日)

『もうレシピ本はいらない』  稲垣えみ子  マガジンハウス

入院先の病院にあった週刊誌の書評に載っていて、興味を惹かれた。副題は「人生を救う最強の食卓」。基本的にご飯に汁もののシンプルな食事の提案で、土井善晴の『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)に似た内容かもしれない。
 筆者の高齢になった母が、得意だったはずの料理を嫌がるようになったというのが、執筆のきっかけだったようである。たしかに、「凝った料理か宅配弁当か」の2種類しかない調理人生は、強迫的で悲惨ですらある。どうしたら楽に自然に、好みのものが食べられるのか? これが解決できれば、シニアの人生は大きく自由になるではないか。そのためのヒントがたくさん詰まった本である。ときに笑えて、なかなかいい。

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現代の世の中はどうも2種類の人に分かれているのだ。
一つは毎日キラキラした料理を頑張って作り続ける人たち。
もう一つは、もう料理なんかしたくないという人たち。
 私がこの本で伝えたかったのは、このどちらでもない、第三の道があるんじゃないかということだ
「エピローグ」より

2017年10月30日 (月)

藤沢周平と須賀敦子

 大きな病気で手術、退院して1週間である。こうしてパソコンに向かえるのが、不思議な気さえする。
 入院中は藤沢周平を読んでいた。暗い話が多いのに、病気でもなんでも、生きていていいのだという気持ちになれた。須賀敦子にも同じような感想を持つ。

 藤沢周平と須賀敦子、まるで関係ないようだが、実は接点がある。1997年1月の国立国際医療センター。2人はここに入院していた。知っていたのは須賀敦子だけで、違う階に藤沢がいることを友人への手紙に書いている。1月末に藤沢は亡くなり、須賀は同年6月にいったん退院、秋に再入院して翌年3月に亡くなった。2人とも60代末だった。今の私より若いのだ。

 藤沢周平は江戸時代を書いたのではなく、須賀敦子もイタリアを書いたのではないような気がしてならない。そうでなければ、死後20年を経た今でも、読者に生きる力を与え続けることはなかっただろうと、病後のボンヤリした頭で考えた。

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(近くのローズガーデン。まだ行かれませんが、もうじきでしょう。今日は風が強いですね)


2017年8月21日 (月)

『免疫の意味論』  多田富雄  青土社

 20年ほど前に出た免疫の名著。そのころ私は、関節リウマチを発症したばかりで、免疫について知りたくて読んだ。とてもおもしろかった記憶があるが、理系ではないのでよく理解できないことも多かった(今でもそうです…)。
 20年たって、また読み始めたのには理由がある。私のリウマチはよくなったが、なぜか周囲にシニアの患者が、何人も出てきたのである。原因はいまだに不明なはずだが、どうしたというのだろう。
 この本は免疫をかなり巨視的に描いたもので、○○病の治療のような話は、ほとんど出てこない。また20年の歳月の間に新たな発見があって、どこかに加筆訂正が必要な可能性もあるのかもしれない。それでも免疫が、「自己」と「非自己」を峻別するシステムであることには、変わりないだろう。

〈…そもそも「自己」とは何なのか。これほど神経質なまでに「自己」と「非自己」を区別する必要が本当にあったのだろうか。「自己」と「非自己」を区別するような能力は、どこで何が決めているのだろうか。その能力に破綻が生じた場合何が起こるのか。「非自己」の侵入に対して、「自己」はいかなる挙動を示すのか。
 こうした問題こそ、現代免疫学がいま解析の対象としている問題である。分子や遺伝子を扱う現代生命科学の最前線にいるにしては、ずいぶん大ざっぱで、ほとんど形而上学的な問題ではないか

 病気であろうとなかろうと、理系であろうと文系であろうと、生きている以上、心惹かれるテーマと言えるのではないだろうか。

 老化、アレルギー、エイズ、癌、自己免疫疾患についても、それぞれ1章が与えられているが、こうすれば治るとかいう話ではないので、免疫の精緻なシステムについて深い驚きを感じながら、また著者の明晰で馥郁たる文章に導かれながら、やっとの思いで読んでいる。

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(著者は2010年に惜しまれながら亡くなりました。2001年に脳梗塞で倒れ声を失い、右半身不随になりましたが、文筆活動は旺盛なままでした。リハビリ期間を限るとした厚生省に、激しく抗議し反対運動をしたことは有名です)

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