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2018年12月11日 (火)

もうじきクリスマス

 近所のローズガーデンも、クリスマスの装いになってきた。2カ月前にはカボチャが並んでいたところに、サンタクロースがいる。

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 バラはもちろんまだ咲いている。一重の赤いのは、たぶん「カクテル」。

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 このアプリコット色のバラに憧れている。うちに植えたいなあ。

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 わが家には以前、「グラハム・トーマス」という黄色の大輪があった。茂りすぎて、ある年の台風で根元から折れてしまった・・・。これは在りし日の姿。

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2018年11月21日 (水)

江東区役所

 東陽町の駅を出て、四ツ目通りをまっすぐ北に5分ほど歩くと、江東区役所に着く。ここに戸籍関係の書類を取りに行った。鬼平の若いころいたというのは、三ツ目通りだったかも、などとと思いながら。

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 オリンピック会場になる予定の場所があるらしくて、大きな看板がある。

 そばの小さな公園に石碑があり、下のほうに、こう刻まれていた。

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 A.P.とは水準点らしく、私が立っている区役所そばの場所は、満潮のときには水の下になるらしい。ここはゼロメートル地帯なのだ。全体は背の高い石碑で、こんな姿。

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 いちばん上には「A.P.+4.21m 大正6年台風」、その下に離れて「A.P.+3.30m 第20号台風 昭和54年」、そのすぐ下に「A.P.+3.15m キティ台風 昭和24年」とある。よく見えないほど高いところまで、水が来たのだ。4メートルなら津波がやって来る高さでもある。

 区役所の若い女性職員は笑顔で、とても親切だった。でも、夫の両親がかつて住んでいた場所について、私が何気なく、「このあたりは空襲で焼野原になったんですよね」と言ったら、何の反応もなく、空襲すらよく知らないようだった・・・。 

2018年11月 8日 (木)

久しぶりに俳句の話

 先日、11月の句会があった。このところおよそ俳句気分ではなく、読む本も文芸書には遠いものばかり。気が乗らないまま作った。当日の兼題は「銀杏(ぎんなん)」。

銀杏を食う少しだけ縄文人〉   蕩遊

銀杏降る上野の森のムンク展〉  和子

焼銀杏一串五粒手酌かな〉   ちとせ

銀杏の実るホームや母の留守〉   こはる

 私はまだ母のことが頭から離れない。

 庭の野紺菊が咲いた。今年は夏が暑かったからだろうか、いつもより咲き始めが遅いような気がする。庭隅で手入れもしていないのだが。

甘えたき素振りも見せず野紺菊〉   こはる

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野紺菊は地味だけれど、群れて咲くときれいで、私はとても好きです)

 あまりにも俳句に縁遠い毎日なので、octpus11さんが紹介されていた小川軽舟の『俳句入門』 を、読んでみようと思ったところ。実は小川氏は、私の古文書の先生の俳句の師に当たる。今の私自身の俳句の師匠とは、かなり作風が違う。もう少し長い形のものを書きたいと、最近はよく思います。

 

2018年11月 5日 (月)

円成寺

 翌日も晴れて、朝から青空にうろこ雲に紅葉が映えている。

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 柳生の里に近い円成寺に行った。11世紀の創建で真言宗御室派の寺で、応仁の乱の戦火に遭ったものの、多くの重文を残す寺である。大日如来像が有名で、以前の修理のとき台座から運慶直筆の墨書銘が発見され、運慶25歳のときの作であることがわかった。もちろん撮影なんかできない。

 こちらは重文の楼門。

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 もともと大きなお寺だったが、明治維新後の廃仏毀釈で寺はかなり荒れたらしい。近年は修理が進んでいるそうだが、夫は50年近く前に来たときと、あまり雰囲気が変わっていないと言っていた。

 帰りの新幹線まで少し時間があったので、奈良駅に近い奈良女子大学に寄ってみた。記念館が公開されていたのである。

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 文化祭ではなかったようだが、楽しそうな様子。ただし屋台などは出ていない。小さな穏やかな大学だった。

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 近鉄奈良駅前には行基さんの像が立っている。私が初めて来た学生のころは、駅は地上だったし、像もなかった。学生の泊まる日吉館があったころの話である。あれから半世紀か・・・・・・。

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2018年11月 3日 (土)

室生寺

 二日目は室生寺に行った。実に50年ぶりで、学生のころに室生口大野駅から歩いたことがある。今回はもちろんバス。
 室生寺といえばこの五重の塔が有名である。少し以前だが台風で大破し、修繕されたと聞いた。塔から少し上がったところからスマホで撮ったが、この角度から見ると何だかオモチャのようだ。実際にはもっと赤くてきれいなのだが、スマホは色がよく出ない。

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 ここにたどり着くまでは階段ばかり。スマホの健康アプリによると、この日は1万歩以上歩き、階段を15階も上ったという。まさか! 歩きの1万歩は普段からときどきしているので、意外ではなかったけれど。

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 紅葉は思ったより見られた。でもこれからですね。

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 山あいなのでけっこう寒かった。「女人高野」の名にふさわしく、女性参拝客も多く、また女性の一人旅の方にも数人、出会った。どなたも私とあまり年齢が違わない。

 ありがたいことに、室生寺まで来ても,どこも何ともならなかった。カメラを持たなかったせいかしら。スマホの画像に満足できない私としては、複雑な心境である。







2018年10月22日 (月)

スマホのカメラ

 秋の青空が美しい。買い物の帰りに団地のローズガーデンに寄って、スマホのカメラで撮ってみた。iPhone7である。

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 もっと近寄ってみた。

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 いい天気だったせいか、想像よりきれいに撮れている。補整などは全くしていない。
 カメラの性能ネットで調べてみたら、1200万画素、センサーは1/2.3型で、普通のコンデジとほぼ同じだが、コンデジがズームレンズなのに対して、iPhone7はフィルム換算で28ミリの単焦点レンズがついている。画質のよさはここから来ている。

 ちなみにこうしたことは、iPhone7の市販ガイド本には何も書いてなかった。そりゃ押せば撮れますけどねえ・・・。

2018年9月27日 (木)

かがやき

 近所にバラ園がある。区立だが力を入れて運営しているらしく、いつもきれいに整っている。買い物に行く途中にあるので、ときどき寄るのが楽しみなところだ。でも今年の夏が異様に暑かったので、しばらくご無沙汰していた。秋バラの季節にはまだ早いようで、咲いていたのはこれ一輪だけ。「かがやき」という名がついているそうです。

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 リコーのGRというコンパクトカメラで撮った。28ミリの広角レンズなので、あまり花向きではないのだが・・・。もう少ししたら花盛りになるだろうから、また来るつもり。

2018年9月20日 (木)

曼殊沙華

 すっかり秋になって曼殊沙華が咲いている。先ほど団地の隅に毎年咲くところを見に行ったら、すでに盛りは過ぎた様子だった。そんなわけでこれは少し以前に撮ったものです。

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 どことなく禍々しい感じのする花で、死人花の異名もあるらしい。秋の彼岸のころに咲くし、墓地に多かったのだろう。でも金子兜太に有名な句があって、私はこれが好きだ。

曼殊沙華どれも腹出し秩父の子〉   金子兜太

 故郷を想うと、句は明るく大きくなるらしい。

曼殊沙華もろ手をあげて故郷なり〉   鈴木真砂女

 このところ、母の遺品整理に忙しい。自分の物も片付けないと、母の遺品を受け入れるスペースが出ないため、そっちでも忙しい。

何もかも捨ててしまへと曼殊沙華〉   こはる





2018年8月26日 (日)

ヘクソカズラ

 灸花=ヤイトバナともいうが、屁糞葛=ヘクソカズラが本名らしい。庭隅に咲いていて、よくみるとかわいいのである。臭いはともかく。

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花あげてへくそかづらはかなしき名〉   国松ゆたか

八十の乙女しくしく灸花〉   鳴門奈菜

へくそかづらはわが放浪のそぞろ神〉   吉田渭城

俳句には難しいみたい・・・。


2018年8月17日 (金)

百日紅

 8月も半ばを過ぎ、今朝は涼しかった。久しぶりに窓を大きく開けたら、百日紅が咲いているのが目に入った。

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 15日は敗戦忌。6月に94歳で亡くなった母は、最後の2年ほどは認知症が進み、あまりしゃべらなくなった。そしてしまいには取りつかれたように、戦争の思い出しか語らなくなった。辛かった思い出より、楽しそうに語ることが多く、戦下の暮らしの一体感が青春の思い出のすべてだったようだった。
 認知症の人の話は、批判したりせず、受け入れたほうがいいとよく言われる。でも「勤労奉仕に、一緒に行ったわよね」と話しかけられたときは、さすがにそうはできなかった。「行かないよ! 私は戦後生まれだもの!」と、大きな声を出してしまった。
 
 ネットの記事によると、「米の戦略爆撃調査団の世論調査によると勝つと思っていたのは25%。その大半は10代後半の少年少女、純粋培養の世代だ」とある。母は大正末の生まれだから、この世代に近い。母に最後まで居座った戦争の記憶のものすごさには、恐怖さえ感じた。

 もしかしたら全国にはまだまだ、戦争の記憶に取りつかれたまま、高齢を迎えている人が、大勢いるのかもしれない。そして元気なら黙って耐えられるが、心身が弱ると記憶がマグマのように噴き出してくるのかもしれない。

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