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2018年2月

2018年2月26日 (月)

ルリビタキ

 庭に出したままになっていたビニールシートのくぼみに水がたまっていて、そこにルリビタキがやってきた。今までも何回か見ていたが、滞在時間が短く、ちょこまかした小鳥なので、写真には撮れなかった。でも今回は成功!

 歳時記では「大瑠璃」の項に付属として出ている。夏の季語らしいが、この辺りでは冬でもよく見かける。いい声で鳴くらしく、たぶん聴いているのだろうが、声と姿が一致しない。庭では黙ったままです。

瑠璃色の色のこしとぶ水の上〉   長谷川かな女

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(メジロなどの小さい鳥は、ヒヨドリがやって来ると、大急ぎで逃げてしまいます。このルリビタキは、ヒヨドリの来る前に、水を飲みに来たのでしょう。鳥には水場も大切なんですね)

2018年2月24日 (土)

『がん──4000年の歴史』上下  S・ムカジー/田中文・訳  ハヤカワノンフィクション文庫

 原題はThe Emperor of All Maladies──A Biography of Cancer。上下2巻、800ページを超える長編で、ピュリッツァー賞を受賞している。Amazonのレビューの評価も非常に高い。でも、とにかく長かった。長すぎると私は思う。4000年にもわたる癌の伝記ということだが、実際には19世紀の末ごろからの癌研究史で、素人が今に役立つ知識を得ようとするなら、下巻の200ページ目くらい、染色体の話が本格化するあたりから読んだほうがいいのではないかとさえ思った。もっとも、この長大な記述の中に、癌の複雑さや不可解さ、怖さが存分に出ているわけで、一を聞いて十を知るどころか、百を聞いても一さえおぼつかない高齢の私などには、話がおもしろいだけ、よかったとも言えそうだ。

がんはわれわれのゲノムに組み込まれている。無制御な細胞増殖を引き起こす遺伝子は、生体にとって決して馴染みのないものではなく、生命維持に不可欠な細胞機能を担う遺伝子の変質した、ゆがんだバージョンなのだ。(中略)ヒトという種の寿命が延びるにつれて、悪性の細胞増殖が避けがたく解き放たれてしまうのだ

 以前に、スーザン・ソンタグの闘病を息子が書いた本(『死の海を泳いで』D・リーフ著 岩波書店)を、読んだことがあるのを思い出した。ソンタグは40代で進行した乳癌を患って克服、それから約20年近くたって子宮肉腫を患い、これも化学療法を駆使して克服した。それは彼女の誇りになっていたはずだ。そして70代になって骨髄異形成症候群になり、72歳で亡くなった。このムカジーの本にはそのことが出てきて、彼女はおそらく前の2回の化学療法が原因で、骨髄異形成症候群になったのだろうと書いている。治療が新たな癌を呼ぶ・・・、癌の治癒とは何なのだろうと、一人の術後患者として、考えないではいられなかった。

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(実はまだ最後の2割を残しているのですが、疲れすぎないうちに・・・。この本を教えてくださったのは、まちこさん。感謝です)

追記 無事に読み終わりました。上下で800ページを超える長編でしたが、おもしろかったのです。21世紀になって、分子生物学の進歩とともに、癌の正体が解明されてきたのに、治療がなかなか思うようにならないというのが、現状なんですね。暗い本ではなく、闊達な新聞記事のようで、非常に読みやすいです。

2018年2月16日 (金)

『美術の力』  宮下規久朗  光文社新書

 総カラーの美術をめぐるエッセー。帯にはこうある。

いったい、美術にはどれほどの力があるのだろうか。心に余裕がある平和な者には楽しく有意義なものであっても、この世に絶望した、終わった者にも何か作用することがあるのだろうか

 著者はそれを自分で試してみているようである。後書きに4年前に娘を病気で亡くし、何事にも興味がなくなったとある。その中で巡礼のように各地の絵を見て回り、これを書いた。絵を見るとはどういうことなのか、深く考えられる文章が続き、心に残るものだった。
 もともとカラバッジョの専門家として有名な人で、この本にもイタリア絵画の話が多いが、絵巻物や藤田嗣治の絵など、日本のものも含まれている。読んでいるうちに、今までの自分の偏った印象が直され、一層鮮やかになった個所が、いくつもあった。著者は、絵を見るというのはかなり知的な行為で、知識を持って鑑賞したほうが得るものが多いと断言している。絵の前でボンヤリ感心して眺めているだけなのは、もったいないのかもしれない。

 耳が悪くなって以来、目からの情報に頼ることが多くなった。テレビより本、映画館より美術館がいい。

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(日本画にも詳しい方で、とてもおもしろかったです。四国の金刀比羅宮が美術品の宝庫だなんて、知りませんでした)

2018年2月14日 (水)

水泳再開

 手術から4カ月、体力は戻ってきたが、体重が戻らない。食べているのだから、もう気にしないことにした。世の中には痩せたい人のほうが多いのだ。服から指輪、靴までゆるくなったのには閉口するが。

 水泳教室に復帰することにした。もともと中級クラスにいたのだが、体力を考えて初中級に。コーチは顔なじみである。今日は2回目で背泳ぎ、その前は平泳ぎ。以前と同じように泳げる(大したことはない)のは不思議なくらいである。体のどこかが覚えていたらしい。泳いだ後で、メチャメチャ疲れるようなこともなかった。じきに中級クラスに戻れそうだ。バタフライは中級でしか練習できないのである。

 日差しが強くなり、春を感じる。お見舞いにいただいた蘭の花も満開で、かすかにいい香りがする。

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2018年2月 8日 (木)

2月の句会

 兼題は「梅」だった。うちの梅はまだ咲かない。近所はまだ雪が残っているくらいだ。

平凡でいいと言ふ父梅一輪〉   こはる

 点を入れてくれた方は、「笠智衆と原節子だね」。じつはこれ、藤沢周平と娘の遠藤展子。展子氏の回想録には、父としての藤沢周平が、よく「普通でいい」と言っていたと、何回も出てくる。私の父もそう言ったような・・・。子供は健康であれば、それでいいのだ。普通に平凡に、なかなか難しいものである。

マニキュアに赤をぽっつり梅日和〉   ちとせ

梅開く窓越しに見る新生児〉   容子

 これらは高点句。紅色を連想させる華やかさのある句。春はこうでありたい。

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(近所の梅林公園で。2年ほど前の写真です。「梅は紅梅」と、清少納言が書いていましたっけ。もうじきですね)

2018年2月 2日 (金)

『兼好法師』  小川剛生  中公新書

 副題は「徒然草に記されなかった真実」。帯には「今から五百年前、“吉田兼好”は捏造された」とある。
 兼好は卜部の人ではあったようで、若いころに「うらべかねよし」として家族の書いた手紙に出てくるそうだが、吉田の人ではなく、また蔵人として朝廷に仕えたわけでもなかったらしい。むしろ無位無官のまま、自分の才能だけで、内裏や貴族の邸に出入りし、中世の乱世を生き抜いたところに、大きな魅力があったと考えたほうがいいようだ。彼の才能は和歌だけでなく、経済面にもあったらしくて、都に複数の不動産を所有し、緻密な契約書などが残っているそうである。実家にも地位はともかく、経済力があったのは確かだとか。鴨長明より生活に追われていなかった? うらぶれた遁世者のイメージとは、かなり違う兼好像が浮かび上がる。

 徒然草は学校で必ず、原文のまま習う。文部省の指導要領で決まっているらしい。わかりにくい文章にうんざりして、古文嫌いになる元凶になっているかも。いっそ現代文で、当時の社会構造、公家や武士の暮らしなども紹介しながら、兼好のアイロニーに充ちた随筆を読んだほうが、よっぽどおもしろいのではないかと思う。

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(左は同じ著者の現代文訳つき「徒然草」(角川ソフィア文庫)で、500ページもあります。高校のとき、これがあったらよかったのに。もっとも著者は1971年生まれで、私はその前に卒業してしまっていますが・・・)

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