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2017年3月

2017年3月22日 (水)

罅(ひび)

 江戸文字講習会に行く道すがら、写真を撮った。カメラはSonyのRX100、実は借り物である。コンデジだが受光素子が大きく1インチ、とても評判がいいカメラなのだが、私はなぜか相性が悪いらしく、思ったように撮れたためしがない。どうやってもいつも、どこかピントが合っていないような気がしてならない。
 公園の水場の建物に、裸木の枝が影を落としていた。罅のように見えておもしろいと思い、RX100で1枚撮った。補整はしていない。

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(カメラ散歩をしなくなりました。この時期は以前ならば、小石川植物園や新宿御苑に、ミラーレスを持って行っていたのですが。同好の友人たちも歳をとり、一緒に行かれなくなったのも大きいです。これからは桜の時期、絵葉書のようでない写真を、心がけたいと思っています。最近のふだんのカメラは、ほとんどRicoh GRで、たまにCanonのミニコンデジを使います。春になったので、もう少し写真を載せていきます。見に来てくださっている方に、心から感謝です)

2017年3月21日 (火)

春は黄色

 すっかり暖かくなった。もうすぐ桜も咲く。近所の公園を通ったら、半袖の子供が元気に遊んでいた。あたりは山茱萸と菜の花。

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春を待つ服は黄色と決めており〉  こはる

 作ったのはだいぶ以前で、「春を待つ」だから、季語としては晩冬だと思う。
 春先の花は黄色が多い。連翹、山茱萸、金縷梅、そして菜の花。私は黄色が好きだ。

2017年3月16日 (木)

庭の花たち

 近所の桜の枝がほんのり赤くなってきた。来週には咲くにちがいない。このあたりは枝垂桜が多く、うちの窓からも数本、見える。咲くのを楽しみに、今日は庭の雑草とり。

 クロッカスの第2陣が咲いている。
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 こちらは明日か明後日に咲くつもりらしい。
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 去年の秋に同時に植えたものだが、色によって咲く順番があるらしく、同時には咲かない。黄色も植えたような気がするのだけど・・・。

 庭の隅っこで毎年、小さな黄色を咲かせるのは、原種の水仙。いつ植えたかも忘れてしまったが、消えることなく、今年も咲いた。
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(カメラはミラーレス一眼のLUMIX GM。レンズは60ミリマクロ。軽くていい装備なのですが、これでも一日中持つのはつらくなりつつあります)

クロッカス地中より色押し出せり〉   白石順子

母というは愚か者にてクロッカス〉   松岡弘子





2017年3月15日 (水)

『俳句の海に潜る』  中沢新一・小澤實  角川書店

 帯には「俳句はアースダイバーの文芸である」とあって、少し毛色の変わった本である。まだ前半しか読んでいないのだが、中沢節が全開で、彼が好きでない人には、ついて行けないかもしれない。

〈中沢 もしも俳句が時代に添って詠まれていくものであったとしたら、俳句じゃないじゃないですか。俳句は常に、今、ここにいる人間の外に行って、鳥になったり、動物になったり、死者になったりするわけだから。今、ここにある現実の中に一緒になっていって、それを言語化して「サラダ記念日」みたいになったら・・・それは俳句じゃないと思う

 中沢は俳句に潜むアミニズムを強調したいようである。それが現代日本に潜む古代的なものにつながると言いたいらしい。
 かつて村上春樹が、「結局、自分は今の日本を、現代的な都会の日本と、その底に流れる暗い古代を書きたいのだ」という意味のことを、どこかに書いていたが、思わずそれを連想した。もちろん私は中沢も村上も好きである。

〈中沢 和歌と俳句はどこが違うか。和歌は秩序を作る権力と一体で、その原理を壊さないで行われる芸術行為です。ところが俳句は、連歌もそうですが、結社の芸術です。つまり秩序を作っている意識から離脱して、自分の生存条件を限りなく自然に近づけていったところで発生する詩で(後略)、俳句自体が結社、こういう結社性を取り除いたら俳句はないと思います

 これも異論が出そうだ。困ったことに、俳人の小澤實が反論らしいことをしていない。今の結社が権力的でないとは言い切れないような気がするのだが、中沢は現実の結社とは違う次元の話、たとえば集合的無意識などを語りたいのだろうか。対談はここからまた別なところに流れて行く。

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(中途半端ですが、書評ブログを書くほどの腕はないので、ご勘弁を。続きはもちろん読みます。いずれまた)

2017年3月 9日 (木)

山茱萸

 団地の中には公園がいくつもある。いやもしかしたら、公園の中に団地があるのかもしれない。都内でも有数の大団地だが、それは広さだけで、人口は高島平などより少ない。
公園の隅に山茱萸が咲いていた。この時期になると眺めに来ることにしている。もう少し奥の公園に行くと、金縷梅(マンサク)もあって、こちらはいい匂いがする。うちの庭に欲しいなあと思うが、どちらも大木になるから無理。庭は団地の1階に付属していて、7坪ほどしかないのだ。

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山茱萸やまばたくたびに花ふえて〉   森澄雄

山茱萸の光零れて静まれり〉   こはる

2017年3月 8日 (水)

補聴器

 補聴器をつけるようになって、2カ月近くなった。だいぶ慣れてきたが、耳に異物をつけているのは、やはり気になるものである。肝心の聞こえは、人の話がだいたい聞こえる程度。補聴器をつけたのだから何でも聞こえるだろうと思う人がいるが、そういうわけにはいかないのだ。もちろん場合によっては、つけたとたんにあたりの音がくっきりと入ってきて、「ああ楽だ」と思うこともある。雑音は思ったほどではなかった。

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 左上の輪は10号くらいの指輪で、大きさを比較するために、一緒に撮った。最近の補聴器はとても小型で、つけていても気づかれないほどである。これは耳かけタイプのRIC型といい、音を拾うのは白い本体、それを耳に導くのは、コードの先についている丸い耳栓のようなものである。白いヒゲは耳殻で補聴器の位置を安定させるためにある。白を選んだのは私の好みで、グレーやベージュなどもある。

 私の難聴はメニエール病が原因で、2年ほど前からあきらかに悪くなった。とくに低音が聞きづらく、高齢に多い高音障害と少し様子が違うらしい。聞こえ方は実に人さまざまなので、調整技術の高い店員のいる店を選ぶのが、何よりも大事なのだそうである。

補聴器や亀鳴く声に耳澄ます〉   こはる

(先日の句会で。おかしかったらしく、点をわりにいただきました)

2017年3月 3日 (金)

雛祭り

 今日は雛祭り。あの「明かりをつけましょ、ぼんぼりに~」で始まる歌は、どこか哀感がある。母は敗戦の年の正月、わずか20歳で結婚し親元を離れたが、3月にこの歌が流れてくるのを聞いて、涙が止まらなかったそうである。今は92歳、思い出すのは娘時代ばかりになってしまった。

 近所のホテルのロビーに飾られた雛壇。団地には置けないスケールだ。
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雛壇の記憶や燈火管制下〉   岡本眸

 句集『一つ音』から。前書きに「昭和二十年三月、戦時下の暗い燈火で見た雛壇の記憶。この一週間後、東京大空襲で焼失」とあり、あまりの偶然に驚いた。岡本氏は私のいちばん好きな俳人で、昭和3年生まれ。

雛の夜昔語りの止まぬ母〉   こはる

 

2017年3月 2日 (木)

3月の~

 3月になった。庭の梅が満開になり、根元にはクロッカス。底冷えではなく、底暖かく(?)なったような気がする。

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三月の甘納豆のうふふふふ〉   坪内稔典

三月や花屋の花のみな欲しき〉  前田和子

 こうしてはおられない。もうじき3月の句会があるのだ。俳句って、一生懸命考えて、調べたりもして作った句に、全く点が入らず、句会に行く途中にふと思いついたような句が、高点をもらったりする。不可解な文芸だと、ときどき思う。「俳句なんて、勉強しててもダメ」と断言する人もいるが、どうなんだろうか?

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