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2016年2月

2016年2月27日 (土)

『私小説』  水村美苗 ちくま文庫

 本邦初の横書き、バイリンガル小説なのだそうである。なるほど、副題に「from left to right」とある。大雪の降るクリスマスも近いニューヨーク、日本人の姉妹が長い電話を交わす一日を、章立てもなく書いたもので、会話や述懐は日本語と英語が脈略なく入れ替わり、英語部分に日本語訳は全くついていない。
 姉妹は10代からアメリカに暮らして20年を過ぎ、姉は売れない現代彫刻家、妹は大学院でフランス文学を専攻し、博士課程修了の口頭試問を終えたら日本に帰り、学者ではなく小説家、それも日本語で書く作家になりたいと望んでいる。日本人のままアメリカで生きる厳しさ、孤独が切々と伝わってきて、読んでいて辛いほどである。
 水村美苗は「続明暗」で作家として認められたが、どうして漱石だったのか、この本を読むととても納得できるような気がした。また後の『日本語が亡びるとき』にもつながる深いテーマを共有している作である。

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(英語部分はそんなに難しくなく、私の半世紀前の受験勉強の残滓でも、かろうじて読めます。ただし読解だからであって、会話だったら何もわからないでしょう)





2016年2月23日 (火)

傾聴ボランティア

 先日、ホームの母の部屋に、傾聴ボランティアの実習生(講師は久田恵さん)の方が見えた。母の趣味の墨絵について、いろいろ聞いてもらえることになっていた。母が墨絵を始めたのは40代からで、今から半世紀近く前からのことである。このホームに入る1年ほど前まで、静物や風景などをずっと描いていた。絵の話なら喜んでするのではないかと、周囲の人は予想していた。
 ところが、である。母が熱心に話すのは、戦前の女学生時代のことばかり。臨海学校のこと、伊勢神宮参拝のこと、戦争が始まったこと、勤労奉仕のこと・・・話は戦後にさえならない。夫や子供のことも話そうとしない。中年から始め、あんなに夢中だった墨絵も、「もうやってない」と言うだけ。母の戦後は何だったのだろう、結婚して家庭を持ったことも、忘れてしまったのかしら?
 昨日の句会で、こんな句を出した。舌足らずで、子としての無念の思いが出ていないけれど。

鳥雲に母の戦後はただ一瞬〉  こはる

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(うちの梅がようやく満開になりました。梅の剪定って難しいですね)



 

2016年2月19日 (金)

エリカ

 近所の公園でエリカが、たくさん花をつけていた。ピンクがきれいで、もう春の気分。今日は朝は零度近かったが、昼間はダウンコートでは暑いくらいになった。

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 ふつうのコンデジで撮ったもの。レンズが明るいと、あたりがきれいにボケて撮れる。ついでに、そばで咲いていたローズマリーも。

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2016年2月14日 (日)

暑かった!

 練馬の最高気温は24.8度。夏日一歩手前である。子供は夏服姿だ。

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 そして近所の池では、カメが首を伸ばしていた。

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 明日は寒くなるのだそうだ。カメさん、気をつけてね。




2016年2月12日 (金)

『増補 日本語が亡びるとき──英語の世紀の中で』  水村美苗 ちくま文庫

 2008年に単行本が出たときは、さまざまな論議を呼ぶベストセラーであった。私はどうも周回遅れの読者らしく、いつも文庫になってから、かつての話題作を読むことになる。 グローバリズムの広がるなかで、日本語はいかにして生き延びるのか、また生き延びる必要があるのかを熱く語った、評論というよりエッセーである。つまり、かなり著者個人の経験によって生まれた「理論」が多いということだ。それでも説得力に満ち、刺激的ですごくおもしろい本だった。初版の単行本は2008年刊。

読まれるべき言葉」を読み継ぐのを教えないことが、究極的には、文化の否定というイデオロギーにつながるのである

日本は戦後50年のあいだ、平和と繁栄と言論の自由を享受しつつ、知らず知らずのうちに自らの手で日本語の「読まれるべき言葉」を読まない世代を育てていったのである。「書き言葉」の本質が読むことにあるのを否定し、ついには教科書から漱石や鷗外を追い出そうとまでしたのである。そして、誰にでも読めるだけでなく、誰にでも書けるような文章を教科書に載せるという馬鹿げたことをするようになったのであった

「読まれるべき言葉」というのは、著者によれば日本の近代文学の古典である。そこから、今や専門家しか読まなくなった本当の古典にも、行き着くことができる、と。私は自分が受けた教育と共通するので、効果があったかどうかは別にして、この意見には実感を持って賛成できるが、そうでない人もかなりいるだろう。
 どうして近代文学を教えなくなったのだろう? もしかして、日本近代について、あまり考えたくないからだったりして。

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(水村美苗は「続明暗」で有名。今度、読んでみようと思います。夫君は経済学者の岩井克人です)

2016年2月 9日 (火)

落椿

 庭の小さな椿が、毎日のようにポトリと落ちる。春なんだなあと思う。

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 つい先日の句会でこんな句を出した。

落椿並べて散歩行きますか   こはる〉

 ゲストの「現代俳句」編集長が、特選に選んでくださった。解釈は原作者よりすてきで、恋人同士の会話とか。実際は母のいるホームで、ふと私が思いついただけなのだが。肩の力を抜いて詠むのも楽しいと実感。
 ネットには落椿の迫力ある写真がいくつもある。1枚だけ拝借させていただく。場所は奈良の矢田寺ということだ。

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2016年2月 6日 (土)

梅のつぼみ

 あちこちで梅が咲き始めているが、うちの庭のはまだつぼみが固い。少し遅く咲くタイプらしく、毎年のことだが、まだかなあと首を長くして待っている。

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 カメラはLUMIX GM。レンズは30ミリマクロ(35ミリ換算で60ミリ)。こういう写真はマクロレンズでないと撮れない。センサーの小さいコンデジで撮れば、また違った感じになりそうだが、先日娘が持って行ってしまったので、比較できないのが残念。
 早春はマクロレンズの出番が多い。花のアップの写真はとても楽しいもので、遠い昔、写真を始めたとき、何よりも撮りたかったのが、春の野草だった。下は3年ほど前に撮ったカタクリの花で3月の末ごろ。練馬区にはカタクリの自生地があり、咲き始めると区報に載る。これからの楽しみのひとつである。

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2016年2月 3日 (水)

節分

 久しぶりに銀座を通った。節分なので老舗の和菓子屋では、炒り豆を売っている。

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 すぐそばは今風の花屋さん。花束も洋風にぱっと明るく、目を引く。

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 店の横の電柱には、こんなブーケが空に揺れていた。

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(風は冷たいですが、春が近いのを感じました。ゆっくりできなかったのが残念)








2016年2月 1日 (月)

電子辞書

 外出のとき持ち出せるような、小さな電子辞書を探していた。条件は、軽いこと、広辞苑と歳時記が入っていること、液晶が見やすいこと、ローマ字入力、の4つである。ところがこれを全部かなえるのが難しい。結局、カシオXD-C500になり、ローマ字入力を諦めることになった。

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 そんなわけで、「あかさたな」を探して目を白黒している。QWERTYにすっかり慣れてしまい、モタモタしてばかり・・・。日本人なのに、やれやれである。ちょうど『増補版 日本語が亡びるとき』(水村美苗・ちくま文庫)を読んでいるところだったので、よけいにギョッとしたことでした。この本の感想はいずれまた。おもしろいです。

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