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2015年12月

2015年12月31日 (木)

干し椎茸を戻す

 朝からずっと台所である。煮物はうちで作ることになっていて、しかも椎茸から八頭まで、それぞれ別に煮る。時間がかかり、たいていは夕方になってやっと完成する。今年は娘の注文で、椎茸を多めに水で戻し、先ほど無事に煮上がった。椎茸はやや甘め、ゴボウやこんにゃくは、やや辛め、というのは亡姑の教えです。

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 もっと美しい写真で年を締めたかったのですが・・・。皆様、よいお年をお迎えください。

2015年12月28日 (月)

SALE

 東京は暖冬ぎみで、今のところ、身を刺すような寒さにはなっていない。そんなわけで冬物衣料が売れ行き不振、セールが前倒しになっているようだ。

 これは長浜の商店街。
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 長浜はせっかく行ったのに、団体旅行だったので滞在は2時間足らず。今写真を見ても消化不良感が募る。おもしろそうな街だったのに・・・。小雨の中、歩きながら撮った店先です。

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 すてきな本屋さん。本屋のある街はいいな。私の妹は大学が3つもある街に住んでいるが、本屋が全部なくなったとか。どうなっているのだろう?







2015年12月25日 (金)

クリスマスの装い

 私ではなくカエルが、である。母のホームに行く途中に、いつも季節の装いで立っている。そんなわけで、今はサンタクロース。明日は着替えるのかな?

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(金網の塀の内側にあって、画角の工夫ができません。このお宅は園芸がお好きらしく、いつも季節の花で賑わっており、とくにバラがすばらしいです)

2015年12月23日 (水)

母を訪ねる

 年末最後のホーム訪問。うちから30分、バスで通っている。母は入所した3年前より明らかに体調がいい。たぶん食事のせいだろう。
 わりに評判のいいホームだが、中には家族に入所させられ、なかなかなじめない人もいるようだ。高齢になって環境が変わるのは辛い。もうじき古希の私でも、最近は知らない人や場所に怖じ気づくのだから、90歳近ければほんとうに無理もないと思う。母もときどき「うちに帰りたい」と思うらしいが、一方で「ここにいたほうが楽だ」とも考えている様子で、最近はとくにそうだ。
 このホームのヘルパーさんは、わりに年齢が高い。ベテランが多く入居者の気持ちに添った対応をしてくれる。

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(このヘルパーさんが言うには「エプロンをしていなければ、皆さんと同じです」。小柄ですてきな方です)

2015年12月20日 (日)

『百歳までの読書術』  津野海太郎 本の雑誌社

 著者の言うには、内容は「70歳からの読書」。人生の最終段階での本とのつきあい方を書いたエッセーで、「本の雑誌」に3年にわたって連載されたのがもとになっている。帯にも見える序の「老人読書はけっこう過激なのだ」から始まる1冊は、笑ったり感心したりで、飽きることなく最後まで読んだ。本を増やさない方法なんて、なかなか参考になる。
 読書好きには蔵書するタイプと、どんどん入れ替えていくタイプとあるそうだが、津野氏は後者。私も一葉関係を除けば、だいたいそうである。困ったことに、これを読んだら、いい年をして本ばかり読んでいることに罪悪感が減ってしまい、またBook Offに行って、100円でチャーリー・マフィン=シリーズなんぞを数冊、買ってきてしまった。お正月の準備はどうなるのだ?

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(最近は出かけすぎると、とても疲れるので、ついついメンタル・ジャーニーということになります。この本にはたくさんの高齢者の、読書に関するボヤキが紹介されていて、自分の晩年はどうなるのだろうかと、いろいろ想像させられます。大岡昇平の『成城だより』など、おもしろそう)

2015年12月14日 (月)

落葉

 強風と雨で銀杏が裸木になっていく。あたりは落ち葉で、歩くとカサコソと音がする。もうじき本格的な寒波が来るのだろう。

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2015年12月12日 (土)

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  村上春樹 文春文庫

 『ノルウェイの森』のバージョン違いのような感じで、現実離れをした話はほとんど出てこない、リアルな小説だと思った。表面は「多崎つくる」青年の成長譚のようになっているが、青春小説にしては会話がひどく不自然で論理的すぎる。ストーリーを楽しもうとする読者には、きっと不評に違いない。筋だけたどれば結論さえ曖昧で、くだらない小説だと思う読者が多いのも、容易に想像できる(amazonのこの本についてのレビューのレベルが低いという意見には、残念ながら賛成である)。
 村上自身は自分の小説を「寓話」だと言っている。もしそうなら「つくる」の過去探しは、ある種の歴史修整主義への揶揄のようにも読めるし、過去が判明したあとのストーリーに、大震災と原発事故以後の日本でどう生きるか、村上のメッセージを感じるのは、私だけではないだろう。おそらく「個人に返り、生きる基本に返れ」というような・・・。それを声高に語らないのが村上らしい。この小説にも震災のことはちらっと出てくるが、彼はたぶん3.11後の日本の変容を語る長編を、準備しているのではないだろうか。今までも時勢を無視する作家ではなかったから。楽しみに待とう。

あなたは一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これから先の人生を送ることになる

それは正しい胸の痛みであり、正しい息苦しさだった。それは彼がしっかり感じなくてはならないものなのだ

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(文庫になったので。村上の熱心な読者ではなく、久しぶりです。楽しい読書でした)

 

2015年12月11日 (金)

夕暮れ近い柳橋

 日が短くなった。年内最後の柳橋句会があって、夕方から始まるので、その前にカメラ散歩を楽しんだ。

 柳橋も夕方の風情。いつもにまして静かだった。
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 橋のたもとの佃煮屋さんも冬バージョン。
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 お店はいつもと同じで、柳も緑です。
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 近くの神社にある石碑。組合は今も健在なんだろうか?
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(写真は撮ったままで補整していません。そのほうが夕方らしいかなと思ったからなのですが、ちょっとアンダーすぎるかも)






2015年12月 9日 (水)

『骨が語る日本人の歴史』  片山一道 ちくま選書

 下の写真でもわかるように、派手な帯(業界用語で「腰巻き」という)がついていて、骨考古学者が歴史の常識に異議申し立てをした本である。たとえば「大陸から弥生人が大勢やってきて、縄文人を駆逐した」などというのは、事実と違うそうだ。科学的視点から今までの「思い込み」を批判し、旧来の歴史教育のゆがみを指摘している。歴史は年号や人名をするだけの学科になっているならば、それは教育のほうが間違っているのだ。

人間の営みに対して覚える知的好奇心を涵養し、自他の社会のちがいに対する自立的な思考力を培養するのが、歴史教育というもの

 歴史のおもしろさを知るには、少し大人になる必要があるのかもしれない。「○○人は××だから・・・」なんて言っているあいだは、歴史好きになれないということなんだろう。

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(今年の5月刊、もう7刷です。愛国でも自虐でもない歴史感覚がいいと思いました)

2015年12月 7日 (月)

錦秋

 紅葉が赤い。北の都立光が丘公園まで、脚の訓練を兼ねて散歩、コンデジを首からぶら下げて行く。

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 かなり広い公園なので、写真だけ見ると、山にでも行ったような雰囲気になる。

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 あたりはもう冬の気配。気温は10度以上あっただろうが、人家から遠いので寒く感じる。

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 思わず長く歩いてしまい、おなかが空いて、公園脇のお店でお昼のカレーを食べた。

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(カメラはいつものRicoh GR。撮ったままです。かなり歩きましたが、平地なら問題ありません。ときどき階段の「稽古」をしています。近所に緑の多い大公園があると、歩くだけでいい気分転換ができます)










2015年12月 1日 (火)

黄金長者

 団地の銀杏は、黄葉の盛りを過ぎようとしている。

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 当然ながらすごい量の落ち葉となる。今日の句会にはこんな句を出した。

銀杏散る黄金長者になった朝   こはる〉

 何とか選をいただきました。ありがとうございます。





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