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2015年4月13日 (月)

「候」(さうらふ)

明治28年5月、一葉が彦根の馬場孤蝶に宛てて出した手紙から。

お写真おめぐみにあづかり折お礼ながら申上度こと数々御座ひしかど、今は時おくれて申そびれまゝ、たゞ御礼をのみ申上、余程お寒く相成へども・・・」(出典は『明治文壇の人々』馬場孤蝶

「写真をもらいお礼を言うのが遅くなりました。そちらはだいぶ寒くなったようですが・・・」といった意味だが、こういうのばかりずっと読んでいると、目も頭もチカチカしてくる。もっとも活字になっているだけ、ありがたいと思わなければならないのだが。
 明治中頃までの人々は、話し言葉と書き言葉が一致していなかった。一葉はまさに過渡期の作家である。候文は簡易文語体として、長く後年まで、手紙や公文書に使われた。日本語は漢字・ひらがな・カタカナの3つの表記があるうえに、いろいろな文体が併存する。何かで読んだが、脳の漢字を処理する部分と、かなを処理する部分は、違うのだそうである。脳の負担が大きい言語なのかも・・・。

P1020635
(一葉の生前刊行された唯一の本は『通俗書簡文』でした。手紙の書き方の本で、日露戦争直後に絶版になるまで、なかなかの売れゆきだったのだそうです)

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コメント

明治20年代に言文一致体(口語体)で書いた人は、最先端ですね。
言文一致を主張した鴎外も、明治20年代のドイツ三部作は文語体ですし。
一葉も「この子」という1篇だけは口語体で書いていますが、なんだか一葉らしくない、というか、署名が一葉でなかったら、他の作家だと思ってしまいそう。
でも、「候」で目がチカチカ・・・・わかります。

まちこさん、こんにちは。ブログのコメントの表示が変で、お返事遅くなりました。
一葉は口語では小説がかけなかったのではと、言われているんですね。
ご専門の方にコメントいただいて、うれしいです。

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