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2015年3月16日 (月)

『俺に似たひと』  平川克美 朝日文庫

 父親を看取った息子の物語である。著者の体験とだぶるのだろうが、ノンフィクションではない。

元気なときの自分のプライドを守るための症状が、この頃あらわれた「記憶の喪失と断絶」だったのではないか

 よく「少しボケたほうが幸せよ」などと言う人があるが、それと似ていて、少し違う発想だと思う。

そこには、それまでの(人生の)転轍点とは異なった仕掛けがある。再びやり直そうという自分がいなくなっているのだ。自分がこれまでの延長上の自分ではなくなっていることに気づくことができないのだ。だから、この転轍点は知らずに跨ぎ越すほかはない

 「知らずに跨ぎ越す」という言い方がすごい。主語は父親ではなく「俺」で、著者は「老い」を我が事として受け止めているのだ。
 親の最後の仕事は、子供にちゃんと死ぬところを見せることだ、と誰かに聞いたことがあるが、今はそれさえも難しくなっている。10年以上前、私の父は82歳で、肺がんで死んだ。1ヶ月余の入院だった。死期を悟った父は、母に何回もお礼を言っていたが、母はそれを受け入れられず、ただオロオロしているだけだった。現在、母は90を超え、だんだん自分がわからなくなってきている。超高齢社会の「老い」、明日の自分を見る思いがする。「ぴんぴんころり」なんて嘘だと強く思う。

P1020482
(「ぴんぴんころりはファシズム」という意見に賛成です)


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