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2015年3月

2015年3月31日 (火)

団地の桜

 うちの窓から桜が見える。つっかけを履いて表に出ると、こんな具合だ。そんなわけで、お花見のために遠出することはない。でもほんとは行きたい・・・かも。

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(今日は午後から強風だったのに、ほとんど散りませんでした。時季を心得ているんだ。すごいなあ。明日は雨という予報です。つかの間の満開なのでしょうか・・・)







2015年3月30日 (月)

池上本門寺

 五反田から池上線で12駅、池上駅で降りて本門寺に行った。日蓮宗の有名なお寺で、とても大きく、池波正太郎『鬼平犯科帳』の「本門寺暮雪」にも、この石段が登場する。

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 桜はこれからという樹が多かったが、鐘楼の桜はきれいに咲いていた。

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 日曜日で参拝客が多い。若いお坊さんが甘茶を振る舞っている。

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 墓地の近くに立つこのかわいい像は、日蓮さんの幼いときの姿なのだろうか?

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(LUMIX GM 28ミリ)






2015年3月27日 (金)

『樋口一葉日記の世界』  白崎昭一郎 鳥影社

 2005年の刊行。以前からうちにあったのだが、今ごろになって読んでみた。思いの外(失礼ながら)おもしろかった。著者の本業はお医者さん、しかもサナトリウムに勤務されていたこともあるようだから、結核医なのだと思う。一葉研究の盲点として、結核があると著者は言う。おそらく兄の泉太郎から感染した病で、明治25年ごろには発症しているのではないかと言うのだ。一葉の日記に途切れている部分が多いのも、散逸や破棄というよりは、病気の症状が出たせいなのではないかとも言う。結核というのは一気に悪くなるものではなく、何年もかかってだんだんに衰弱していくものだと、専門の医師らしい意見である。一葉自身は明治27年後半、竜泉寺町時代には病の自覚がかなりあったようだ。彼女の独身主義や厭世観は、結核の進行の影響があったのかもしれない。
 原文を丹念に紹介して、明治の若者群像を生き生きと再現しているのが、とてもよかった。特に最後の年の齋藤緑雨とのやりとりは、「奕々たる生彩を放っている」というのには、心から賛成する。原典は2002年に岩波書店から出た影印本、著者はその肉筆の筆遣いから、一葉の体調や気分を読み解いている。

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(全集の一葉日記を読んでいたら、すっかり混乱してしまいました。「日記」とされているものはまだいいのですが、「雑記・断簡」になると前後の脈略がわからなくなり、年代さえつかめないのです。要するに私が、日記も雑記断簡類を、よく読めていないということで・・・)

2015年3月26日 (木)

枝垂れ桜と雪柳

 家の窓から枝垂れ桜が咲いているのが見える。カメラを持って撮りに行った。思ったより強風で寒かった!

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 そばには雪柳がほぼ満開である。

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(もう少しいろいろ撮りたかったのですが、風が冷たい上に強くて断念。足元にもホトケノザやオオイヌノフグリなどが、たくさん咲いているのに、私は花粉症なもので・・・・・)




2015年3月20日 (金)

アンズが咲いたので──早春の樹の花たち

 桜の前に必ず咲くアンズ。昨日、高いところに蕾を見たので、今日は300ミリレンズをつけて撮りに来た。咲いていた! 駐車場の脇で誰も見てくれない・・・かも。1本だけなので注目もされず、通りかかる人には「あら、桜かしら? 早いわねえ」などと、毎年言われている。やがて実もなる。

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 すぐ近くの公園にはサンシュユも。

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 こちらはシデコブシ。インターナショナル・スクールの塀の脇に咲く。

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 そのまた近くの池のそばでは、ボケが満開。

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(Micro 4/3に45~150ミリレンズ。つまり昔ふうに言えば90~300ミリ。曇っていたので花がよく開いていない感じですが、光が柔らかく、撮りやすいとも言えます。GIMPで少し補整)










2015年3月16日 (月)

『俺に似たひと』  平川克美 朝日文庫

 父親を看取った息子の物語である。著者の体験とだぶるのだろうが、ノンフィクションではない。

元気なときの自分のプライドを守るための症状が、この頃あらわれた「記憶の喪失と断絶」だったのではないか

 よく「少しボケたほうが幸せよ」などと言う人があるが、それと似ていて、少し違う発想だと思う。

そこには、それまでの(人生の)転轍点とは異なった仕掛けがある。再びやり直そうという自分がいなくなっているのだ。自分がこれまでの延長上の自分ではなくなっていることに気づくことができないのだ。だから、この転轍点は知らずに跨ぎ越すほかはない

 「知らずに跨ぎ越す」という言い方がすごい。主語は父親ではなく「俺」で、著者は「老い」を我が事として受け止めているのだ。
 親の最後の仕事は、子供にちゃんと死ぬところを見せることだ、と誰かに聞いたことがあるが、今はそれさえも難しくなっている。10年以上前、私の父は82歳で、肺がんで死んだ。1ヶ月余の入院だった。死期を悟った父は、母に何回もお礼を言っていたが、母はそれを受け入れられず、ただオロオロしているだけだった。現在、母は90を超え、だんだん自分がわからなくなってきている。超高齢社会の「老い」、明日の自分を見る思いがする。「ぴんぴんころり」なんて嘘だと強く思う。

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(「ぴんぴんころりはファシズム」という意見に賛成です)


2015年3月14日 (土)

向山の梅

 母のいるホームは向山町にあり、あたりは古くからの住宅街である。大きな家が多く、やたらに分割して売買できない様子だ。高さの制限もあるらしく、マンションなどは見られない。スーパーもコンビニもない。ちょっと不便だ。
 そのかわり庭木が美しく、たいていは手入れもいい。今は梅、マンサク、サンシュユ、チンチョウゲ、レンギョウなどが次々と咲いて、散歩には楽しいところです。

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 母のいるシルバーヴィラ向山は、かなり評判のいいホームである。入居してそろそろ3年になる。母はいろいろなことを言う。「帰りたい」「ひとりで何でもできる」「近所を散歩するなんてくだらない」「ヘルパーなんかと話す話題はない」等々。見舞いに来る娘たちには不満ばかり言うのだが、実際にはみんなとトランプなどを楽しみ、さまざまな行事にも参加していて、不満との落差がだんだんひどくなっている。ありえないような内容の話をすることも多くなった。介護の世界では「作話」というのだそうである。体調もいいとは言えないけど、しかたない。

 写真は携帯電話のカメラ。晴れているときれいに撮れるなあ。

2015年3月11日 (水)

クリスマス・ローズ

 うちのすぐ前の空き地に咲いている。下を向いて咲く花なので、深くしゃがみ込まないと撮れない。クリスマスの時期ではなく、春に咲く花だ。日本で見るこの花は、本来のクリスマス・ローズではなく、その近い親戚のレンテン・ローズの園芸種がほとんどだとか。調べたら復活祭直前の四旬節をレントLentと言い、そのころに咲くことから、ついた名なのだそうである。春に咲いて当然なのだ。今年の復活祭は4月5日だと、ネットにあった。

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(いろいろな種類があって、交配して新しい花を見るのが楽しみという人もいます)

2015年3月10日 (火)

マクロの季節

 庭の隅にハコベが咲いている。これからしばらくは、マクロレンズの世界だ。

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(先週があまりに忙しかったので、今日はお休みにします。遠出が続けられなくなりました・・・)

2015年3月 8日 (日)

柳橋の佃煮屋

 柳橋のほとりには有名な佃煮屋がある。春になったので、季節の品がないかと寄ってみた。

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 買いたかった浅蜊は4月からだとか。もろこを買う。これは夫の好物なのである。安いとは言えないなあ。店の入口はこんな具合。煎り酒が置いてあった。店名の下には往事の柳橋の写真があり、見ていたらご主人が出ていらした。子供のときのご自分が、写っているのだそうだ。
 「お写真ですか? これからどちらへ?」
 「この近くで俳句の会があって、そこへ行くんですよ」
 「僕も行きたいなあ。俳句とか短歌とか、興味あるんです」
でも時間がなくて・・・・・とおっしゃりたげだった。古いお店を今も続けていくには、ご苦労も多いのだろう。
 
 

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 柳橋はいつもと同じで静かだった。モダンな鉄の橋で、風情がないという方もいるが、私は好きである。

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(中央区の文化財報によると、現在の鉄橋は昭和3年に架けられ、関東大震災の復興計画で耐震構造に配慮した鋼鉄橋で、永代橋のデザインをモデルに建設されたそうです)






2015年3月 6日 (金)

「孤立する精神障害者の家族」──朝日新聞の記事から

 3月3日の朝刊に、上記のような見出しで、かなり大きな記事が出た。東大の研究チームが精神障害者の家族にアンケートを実施、その結果が出たのである。

  家族の約6割が、当事者(患者)から暴力を受けている。
  16%が刃物を向けられ、実際に怪我をした人もいる。
  2割が「一緒に死にたい」「本人に死んでほしい」と思い詰めたことがある。

 私の20年の家族会の経験による印象と、ぴったり合う。患者の暴力は、実は医師などの関係者にとっては、昔からありふれた話だ。しかしいまだに、まともに取り合ってもらえない。家族と一緒に医師の前に出ると、患者は取り澄まして「はあ、反省してます」などと言うので、そのままになってしまう。そして病院から帰宅したとたんに、また際限のない殴る・蹴るが始まる・・・。家の中は、まるで空爆にあったような有様で、テレビはたたき壊され、壁には大穴が空いている。実際に聞いた話である。こういう状態から、事件が発生してしまうのだ。

 この調査では、暴力が家族以外に向くことは少なく、1割未満にしかならないそうだ。これも私の見聞と一致する。しかしこの病気に対する世間の恐怖は大きい。家族は苦難を秘密にすることがほとんどだ。調査結果では、病気家族の恥と感じる家族ほど、精神状態が良くなかったそうである。

家族と本人が外とつながることが大切」と、研究チームの教授は言う。
精神障害者の暴力は、適切な医療や支援があれば対応や予防ができる問題。支援態勢の整備が必要だ

 しかし、医者も取り合ってくれず、患者の暴力から逃げる手段もなかったら、どうすればいいのだろう? 自分が入院する? 宗教の助けを得る? どっちもオススメではない。この研究チームにも、具体的な提案を望みたい
 精神障害者福祉は、以前に比べると日が当たるようになり、施設や若い優秀なスタッフが増えてきた。しかし最近のように、福祉削減のため自己責任、家族責任という考えが強くなると、せっかく作られつつあるシステムが、機能しなくなるのではないかと不安になる。
 病気とつきあい始めて、もう20年以上が過ぎようとしている。うちの当事者は、ささやかながら働けるようになった。もうじき家族会である。

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2015年3月 3日 (火)

雛祭り

 今日は雛祭り。浅草橋である句会に行った。駅の近くには久月などの人形店がたくさんある。何か特別な展示があるかと思ったのに、外を通っただけでは、いつもと同じようにしか見えなかった。浅草橋の駅には、小さなショーウインドーに、ちゃんとお雛様が飾ってある。

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 今日は曇りで肌寒い。隅田川のほとりにある和菓子屋で、小さな買い物をする。そちらのショーウインドーには、工芸品のようなお菓子が並んでいる。

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 こういう手をかけたものが、わが家の近くではお目にかかれない。まあ新開地だものなあと、独り言が出た。
 句会の兼題は「桜貝」。昔をしのぶような感じの句が多かった。難しかったです。

撫で肩で薄化粧して桜貝  こはる〉




2015年3月 2日 (月)

サンシュユとボケ

 花と緑の相談所には、サンシュユの大木があって、早春には黄色のかわいい花を、数え切れないほど咲かせる。買い物のついでに寄ってみた。

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 まだ少し早かったようだ。買い物もあるのでカートを引いて、コンデジではなくてMicro 4/3に90ミリマクロ(35ミリ判換算)を持って行った。ほんとうは北に広がる大公園に行って、マンサクなども撮りたかったのだが、風が思ったより強くて寒く、諦めた。

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 こちらはボケ。やはりまだ早いらしい。せっかくマクロを持って行ったのに、接写できなかったのは、こちらがぼんやりしていたから。
  マクロはMFで撮らなければならないことが多く、旅先などではけっこうたいへんである。オートのままだと、こういう小さいものにピントが合わず、いつまでもジージー動いている。これはどんなマクロでも、同じかもしれない。根気と体力のいる作業だと思う。


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