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2012年2月 2日 (木)

『悪党芭蕉』 嵐山光三郎 新潮文庫

 昔、教科書で見た芭蕉は、聖人君子のような印象だった。でも、天才に聖人君子なんて、何だか変ではないか?

〈ほとんどの芭蕉評伝は、芭蕉を最高指導者(神)として芭蕉を中心にとらえている結果、芭蕉に離反した俳人を脱落者として断罪する。しかし、芭蕉は自らいうように風狂の人であって聖人君子ではない。悪党の貫禄があり、いささかでも癇にさわると、虫けらのように見捨て、重用した人ほど斬り捨てたくなる性分だ〉

 芭蕉はむしろ無頼漢。句風も変転を繰り返し、弟子はついていくのがたいへんだった・・・。

〈芭蕉は迷っていた。
 句がうまい人は品格に欠ける。
 品のよい人格者はうまい句を詠めない。
 芭蕉は、句と人格の一致を求めており、自らも実践して、そのはてにたどりついたのが「軽み」であった。それが弟子には通じない。となると、弟子から離れて旅に出なければならない〉

 芭蕉の度重なる転居や旅を、こういう視点から語られた本は、初めて読んだ。画期的な芭蕉論だと思う(泉鏡花賞などを受賞している)。
 著者は後書きで、書き終えてへとへとに疲れたと書いているが、読むほうもなかなかたいへんで、最初、気楽な評伝かと思って手に取った私は、けっこう苦労した。でも読み甲斐があり、読んでよかったと心から言える本だと思う。

R0010661
(俳句は座の文芸ですから、現在でも、結社だの師弟関係だの、初心者の私が想像する以上に、複雑な人間関係があるのかもしれません)

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