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2010年12月 6日 (月)

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 村上春樹 文藝春秋

 帯にあるように、村上春樹自身が語る村上春樹の世界。村上はちょっと以前まで、いろいろなエッセーをかなり書いていて、そこには創作にまつわる話も多かった。何がヒントになったとか、この短編が後に長編になったとか。彼には企業秘密というのものがないらしく、開けっぴろげでとてもおもしろかったものだ。最近どうして書かないのだろうかと思っていたら、この500ページを超すインタビュー集に、こんな文章があった。

〈僕にとって翻訳をやれるというのはとてもありがたいことです。というのは、生活のためにエッセイを書かなくていいわけだから。(中略)小説家にとって、エッセイをたくさん書くというのは、あまりいいことではないと僕は思うんですよ。それだけ抽斗が少なくなっちゃうわけだから〉

 そうか、あれは生活のためだったんだ。かなり納得。

〈自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。タマネギの皮むきと同じことです。一貫した自己なんてどこにもないんです。でも物語という文脈を取れば、自己表現しなくてもいいんですよ。物語がかわって表現するから。僕が小説を書く意味は、それなんです〉

 村上春樹の物語を操る力というか、ストーリー・テラーとしての才能は、すごいものだとずっと思ってきた。イメージをリアルに語ろうとすればするほど、リアルでなくなる物語の数々。マジック・リアリズムなんていう言葉に、この本で初めて遭遇した。

〈最初から日本人がどういう風にこの世界で生きているかということに興味があるんですね。(中略)日本人的ななものというか日本的なものに興味があるんです。(中略)離れよう離れようと思いながら離れられない部分ということに。それは何かといえば、やっぱり日本における一種独特な前近代性みたいなものじゃないかなあ〉

 あの村上がなあ、と思う人もいそうな発言だけれど、日本語で書く以上、日本人のメンタリティに興味があって当然なのだ。それは偏狭なナショナリズムとは全然違う。私もそうだったが、若いころには疎ましくさえあった「日本的」なるもの。それを描きたいという感じは、一見無国籍ふうに見える彼の作品から、いつも漂ってきたし、『ねじまき鳥クロニクル』以降は、いっそうはっきりしてきたように思う。このインタビュー集に副題をつけるとしたら、「日本語で書くということ」かもしれない。

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