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2018年10月14日 (日)

母の朝顔

 母が20年ほどひとりで暮らした家を片付けている。古い家は狭くても押し入れなどが多く、なかなかはかどらない。
 母は日本画をずっと描いていて、それが生活の張りでもあった。50年ほど前に墨絵を習ったのがきっかけだったらしい。展覧会用に表装したものがたくさん出てきた。下書きも山ほど。私はマンション住まいで、絵をかけるスペースがない。多くを処分しなければならず、寂しいことである。これは朝顔の絵で、あまり大きくないので、飾れるかもしれない。

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 朝顔は秋の季語である。もう咲いていないけれど・・・。

朝顔に我は飯くふ男かな〉   芭蕉

朝顔や百たび訪はば母死なむ〉   永田耕衣

2018年10月 7日 (日)

銀座の魚

 数年ぶりに銀座でランチとなった。40年来の友人2人と一緒である。若者にも人気のある和食店で、平日にもかかわらず混んでいた。

 とてもおいしかったので食べるのに夢中になり、写真を撮るのをすっかり忘れていた。スマホを持っていたのに。下の写真はネットの記事からの拝借です。

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 店員の方が「今日の魚」を紹介してくれる。昼なので、それを刺身定食などにするわけだ。紀州でとれたものだとか。この写真のは冬場のようで、ちょっと違うのだが、雰囲気は同じ。

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 丁寧な造りと接客対応に感心。たまには銀座もいいものだ。





2018年9月29日 (土)

『旅する画家 藤田嗣治』   林洋子・編  とんぼの本(新潮社)

 10月初旬まで藤田嗣治の回顧展が開かれていて、ずいぶん盛況だそうである。先日はテレビの「日曜美術館」でもやっていて、テープに残った藤田の声を初めて聴いた。80歳くらいだったはずだが、明晰な声に驚いた。

 東京では2006年にも、大きな藤田展が開かれたことがある。竹橋の近代美術館だった。仕事の帰りで、重いゲラを出版社に届け、ほっとした解放感のなかでゆっくり観た。それまで藤田が好きだったわけではなく、むしろフランスかぶれの軽薄な人というイメージだったのだが、この展覧会を見て印象が大きく変わった。画家としての卓越した才能に打たれ、フランスと日本という2つの国を生きた、真に国際的な画家だったのだと感銘を受けた。その後、本書の編者の林洋子の本を読み、ますますその思いを強くした。

 私が以前、藤田に持っていた先入観は、作られたものだったのかもしれない。日本は戦後すぐ、藤田に画壇の戦争責任を負わせようとして、藤田は故国を捨てるようにフランスに去った。日本にはしばらく、藤田のいいイメージが残らなかった可能性がある。21世紀になって日本でもやっと、正当な評価を受けるようになったのかもしれない。

 この本は藤田の画業をパリ、ニューヨーク、南米、アジアそして日本の各地をたどりながら紹介した、142ページのミニ画集である。林洋子の曰く、

藤田の本質は(中略)多重性=多文化の蓄積にあると言えるでしょう

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藤田の父親は、森鴎外の後任として、陸軍軍医総監になった人です。藤田が画家になることに賛成し、ずっと支援してくれたとか)

2018年9月27日 (木)

かがやき

 近所にバラ園がある。区立だが力を入れて運営しているらしく、いつもきれいに整っている。買い物に行く途中にあるので、ときどき寄るのが楽しみなところだ。でも今年の夏が異様に暑かったので、しばらくご無沙汰していた。秋バラの季節にはまだ早いようで、咲いていたのはこれ一輪だけ。「かがやき」という名がついているそうです。

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 リコーのGRというコンパクトカメラで撮った。28ミリの広角レンズなので、あまり花向きではないのだが・・・。もう少ししたら花盛りになるだろうから、また来るつもり。

2018年9月20日 (木)

曼殊沙華

 すっかり秋になって曼殊沙華が咲いている。先ほど団地の隅に毎年咲くところを見に行ったら、すでに盛りは過ぎた様子だった。そんなわけでこれは少し以前に撮ったものです。

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 どことなく禍々しい感じのする花で、死人花の異名もあるらしい。秋の彼岸のころに咲くし、墓地に多かったのだろう。でも金子兜太に有名な句があって、私はこれが好きだ。

曼殊沙華どれも腹出し秩父の子〉   金子兜太

 故郷を想うと、句は明るく大きくなるらしい。

曼殊沙華もろ手をあげて故郷なり〉   鈴木真砂女

 このところ、母の遺品整理に忙しい。自分の物も片付けないと、母の遺品を受け入れるスペースが出ないため、そっちでも忙しい。

何もかも捨ててしまへと曼殊沙華〉   こはる





2018年9月 8日 (土)

ヴァランダー・シリーズと夏

 洗濯ものを干しながら空を見上げたら、とても青かった。まだ蒸し暑いけれど、空には秋が来ているのだ。

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 この夏はあまりに暑さが酷くて、必要以外出かけない日が多かった。母の見舞いにも行かなくなった。手持無沙汰の時間が過ぎていく。家の中でできる楽しみは、たまのテレビと読書だけである。
 ずっとスウェーデンの推理小説、ヴァランダー・シリーズを読んでいた。本国ではもちろん、世界的なベストセラーとして有名である。9巻で15冊。翻訳はすべて柳澤由美子。彼女が2015年に出た『霜の降りる前に』の訳者後書きで、こう書いている。

〈(2001年に日本で、これから訳す原本を手にして、もしかするとスウェーデンの田舎町のさえない中年刑事を主人公にしたこのシリーズが、日本の渋い時代小説の愛読者たち、例えば藤沢周平を読む中年男性たちに好まれるかもしれないという淡い期待を抱いた

 期待は報われて、どれも版を重ねている。私は遅れてきた読者で、老年女性だけれど・・・。どれも品のある文章、丁寧な筋運び、論理的な構成で、猛暑の中、飽きることなく読み続けた。あと1冊だけ翻訳されていないものがあるそうだが、著者のヘニング・マンケルは残念ながら2015年に67歳で亡くなっている。続きはもうないのだ。

 秋が来てこんなにうれしかった年はない。

息災を讃え合ふ声八月尽〉   こはる

2018年8月31日 (金)

ゼルヤンツとリウマチの話

 3月末にステロイドを急に辞めてから、朝の強張りが復活した。急に辞めたのは医者の指示で、たぶん私が元気そうに見えたからなのだろう。ステロイドの代わりにシムジアの注射となり、これだけで痛みが治まると、先生は考えたらしい。ところが甘かった。20年も飲んでいたステロイドを急に辞めれば、リウマチは必ず再燃するのである。仕方なく6月からステロイドを少し復活、それでも痛みや強張りはよくならない。それでシムジアを中止、ゼルヤンツという飲み薬に代わって、3週間ほどになる。ゼルヤンツは新しい薬で日本製。

 いろいろな薬をとっかえひっかえ飲むのは、とても不安なものである。総量が増えないだけいいのかしらね。朝の痛みがだんだん減ってきて、ステロイド復活でむくんでいた指も細くなった。体が軽くどこも痛くない生活は、久しぶりである。

 ステロイドの減らし方にはコツがあるのだそうである。「リウマチに気がつかれないように」、時間をかけてこっそり、ほんのちょっとずつ、減らすのだそうだ。

八月の尽きて手足を長々と〉  こはる

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(ときどきリウマチの方が読んでくださっているようです。それで情報になるならと、書いてみることにしました)

2018年8月26日 (日)

ヘクソカズラ

 灸花=ヤイトバナともいうが、屁糞葛=ヘクソカズラが本名らしい。庭隅に咲いていて、よくみるとかわいいのである。臭いはともかく。

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花あげてへくそかづらはかなしき名〉   国松ゆたか

八十の乙女しくしく灸花〉   鳴門奈菜

へくそかづらはわが放浪のそぞろ神〉   吉田渭城

俳句には難しいみたい・・・。


2018年8月17日 (金)

百日紅

 8月も半ばを過ぎ、今朝は涼しかった。久しぶりに窓を大きく開けたら、百日紅が咲いているのが目に入った。

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 15日は敗戦忌。6月に94歳で亡くなった母は、最後の2年ほどは認知症が進み、あまりしゃべらなくなった。そしてしまいには取りつかれたように、戦争の思い出しか語らなくなった。辛かった思い出より、楽しそうに語ることが多く、戦下の暮らしの一体感が青春の思い出のすべてだったようだった。
 認知症の人の話は、批判したりせず、受け入れたほうがいいとよく言われる。でも「勤労奉仕に、一緒に行ったわよね」と話しかけられたときは、さすがにそうはできなかった。「行かないよ! 私は戦後生まれだもの!」と、大きな声を出してしまった。
 
 ネットの記事によると、「米の戦略爆撃調査団の世論調査によると勝つと思っていたのは25%。その大半は10代後半の少年少女、純粋培養の世代だ」とある。母は大正末の生まれだから、この世代に近い。母に最後まで居座った戦争の記憶のものすごさには、恐怖さえ感じた。

 もしかしたら全国にはまだまだ、戦争の記憶に取りつかれたまま、高齢を迎えている人が、大勢いるのかもしれない。そして元気なら黙って耐えられるが、心身が弱ると記憶がマグマのように噴き出してくるのかもしれない。

2018年8月15日 (水)

『ピラミッド』  ヘニング・マンケル  創元推理文庫

 刑事ヴァランダーシリーズの最新刊だが、内容は若き日のヴァランダーで、後のCWAゴールドダガー賞を受けた作品より、昔の話である。このシリーズは長編が多く、5つの中短編集というのはめずらしい。

 スウェーデンのミステリーといえば、1970年代のマルティン・ベックシリーズが有名だが、こちらは1990年代を代表するシリーズと言われる。どれも緻密な筋運びと達者な文章で、いつもおもしろく、この中短編集も例外ではなかった。

 主人公のヴァランダーは、どことなくそそっかしく愛嬌があって、スーパー刑事ではない。ミステリーとしても、ハラハラドキドキというより地道な捜査の展開で読ませる本である。たとえば彼は、ピラミッドの三角形の絵を描き、そこに捜査でわかったことを書き加えて、懸命に考える。自分が「考える警官」であるという自覚もある。
 
 著者は2015年に亡くなってしまった。シリーズは全部で11作、訳者の柳澤由美子さんは、未翻訳の2作を訳されているとか。このシリーズの人気は、彼女の名訳にも負うところが大きい。楽しみにしよう。

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(主人公は男性刑事ですが、料理・洗濯・掃除を当たり前のようにこなしながら、捜査に当たっています。また容疑の妥当性をいつも考えており、つかまえればいいというものでもないと思っているらしい。読んでいて、北欧社会に根付く社会正義意識の強さを、感じることがあります)

«『リウマチ患者さんのQ&A』(第2版)  日本リウマチ財団  2017.12.22

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