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2018年8月17日 (金)

百日紅

 8月も半ばを過ぎ、今朝は涼しかった。久しぶりに窓を大きく開けたら、百日紅が咲いているのが目に入った。

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 15日は敗戦忌。6月に94歳で亡くなった母は、最後の2年ほどは認知症が進み、あまりしゃべらなくなった。そしてしまいには取りつかれたように、戦争の思い出しか語らなくなった。辛かった思い出より、楽しそうに語ることが多く、戦下の暮らしの一体感が青春の思い出のすべてだったようだった。
 認知症の人の話は、批判したりせず、受け入れたほうがいいとよく言われる。でも「勤労奉仕に、一緒に行ったわよね」と話しかけられたときは、さすがにそうはできなかった。「行かないよ! 私は戦後生まれだもの!」と、大きな声を出してしまった。
 
 ネットの記事によると、「米の戦略爆撃調査団の世論調査によると勝つと思っていたのは25%。その大半は10代後半の少年少女、純粋培養の世代だ」とある。母は大正末の生まれだから、この世代に近い。母に最後まで居座った戦争の記憶のものすごさには、恐怖さえ感じた。

 もしかしたら全国にはまだまだ、戦争の記憶に取りつかれたまま、高齢を迎えている人が、大勢いるのかもしれない。そして元気なら黙って耐えられるが、心身が弱ると記憶がマグマのように噴き出してくるのかもしれない。

2018年8月15日 (水)

『ピラミッド』  ヘニング・マンケル  創元推理文庫

 刑事ヴァランダーシリーズの最新刊だが、内容は若き日のヴァランダーで、後のCWAゴールドダガー賞を受けた作品より、昔の話である。このシリーズは長編が多く、5つの中短編集というのはめずらしい。

 スウェーデンのミステリーといえば、1970年代のマルティン・ベックシリーズが有名だが、こちらは1990年代を代表するシリーズと言われる。どれも緻密な筋運びと達者な文章で、いつもおもしろく、この中短編集も例外ではなかった。

 主人公のヴァランダーは、どことなくそそっかしく愛嬌があって、スーパー刑事ではない。ミステリーとしても、ハラハラドキドキというより地道な捜査の展開で読ませる本である。たとえば彼は、ピラミッドの三角形の絵を描き、そこに捜査でわかったことを書き加えて、懸命に考える。自分が「考える警官」であるという自覚もある。
 
 著者は2015年に亡くなってしまった。シリーズは全部で11作、訳者の柳澤由美子さんは、未翻訳の2作を訳されているとか。このシリーズの人気は、彼女の名訳にも負うところが大きい。楽しみにしよう。

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(主人公は男性刑事ですが、料理・洗濯・掃除を当たり前のようにこなしながら、捜査に当たっています。また容疑の妥当性をいつも考えており、つかまえればいいというものでもないと思っているらしい。読んでいて、北欧社会に根付く社会正義意識の強さを、感じることがあります)

2018年8月13日 (月)

『リウマチ患者さんのQ&A』(第2版)  日本リウマチ財団  2017.12.22

 この本は春に今の医者に替わったときに、必要で買ったものである。A4版100ページほどのパンフレットのようなものだが、とても役に立った。
 私は20年ほど前からのリウマチ患者で、ずっとMTXとステロイドを飲んできて、それなりに調子はよかった。去年秋の大病をきっかけに病院を替わったところ、新しい医師は「その処方は古い。副作用が心配だ」とおっしゃる。私はあわてて新知識を得ようと、ネットを見たり本を探したりした。なかなかいい本がない。みんな少し古いのである。私は自分に処方されるらしい「新薬」、バイオ製剤について知りたかった。

 この本は去年の末に出て、日本リウマチ財団のホームページに出ている記事が、もとになっているようだ。生物学製剤、つまりバイオ製剤が、もう新薬とは言えないほど普及しているのが、よくわかった。種類も多く、その効き方とか薬価などについて、とてもわかりやすく書いてある。ときに難しい内容もあるのだが、免疫の話はだいたいが面倒なものなので、我慢して読むしかなかった。

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(母が亡くなって疲れが出たのか、今までの薬のエスケープ現象なのか、検査結果が急に悪くなり、抗リウマチ薬がまた替わりました。朝の強張りが少し出て、両肩が痛く、水泳に差支えが出ています。でも見たところは普通らしく、患者を知らない人には、まず全く理解されませんね。家事や外出はできています)

2018年8月 4日 (土)

五十日祭

 母の五十日祭が終わった。仏教の四十九日に当たる行事で、このときに納骨も行う。当然ながら墓前で、つまり炎天下の墓地にみんな並ぶわけで、神主さんも大変。簡素で分かりやすい式辞を、書いたものなど一切見ないで、きれいな声であげてくださった。一つの区切りになり、総領娘としては大役を終えた気分である。

 墓地にはビーチパラソルがさしかけてあった。びっくりした。平日だったので、ほかに来客もなく、墓地は白々と明るく、ひたすら暑かった。

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 片隅に咲く凌霄花。スマホで撮ったので近寄れなかった。真夏に目立つ美しい花だが、花と蕾には毒があると聞く。

雨のなき空へのうぜん咲きのぼる〉    長谷川素逝

2018年7月28日 (土)

蓮開く

 もうじき母の五十日祭。仏教の四十九日に当たる行事で、納骨もこの日になる。私は兄弟のいない長女なので、喪主である。お墓の継承を済まさなければ、納骨もできないので、このところ忙しかった。

 以前に従兄が送ってくれた蓮の花の写真。場所は鎌倉の鶴岡八幡宮である。

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生きること死ぬことの訳蓮の花〉   伊丹三樹彦

2018年7月23日 (月)

41度!

 気象庁のデータでは、今日の練馬の気温は39.6度にまでなったそうである。でもうちの軒下に吊るしてある寒暖計では、どう見ても41度を超えている。

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 ここで暮らすようになって20年を超すが、いちばん暑い。もちろんどこにも出かけない。昨日は母のお悔やみ状に、汗をかきかき返事を書いたが、ポストに出しに行くのは日が落ちてからにした。今日は江戸文字の予習をしたが、頭が動かない。リタイアの身をありがたく思う。

 7月の検査が終わり、問題なかったのでほっとしている。この暑さにもかかわらず、去年より体調がいい。去年は、本人が知らなかっただけで、れっきとした病人だったのだ。

2018年7月20日 (金)

地下鉄銀座線

 通院に銀座線を使っている。今回乗り合わせた車両は、レトロな雰囲気に造られていて、懐かしかった。子供のころ、渋谷からバスというところで育ったので、銀座線はよく乗ったのである。

 もう60年くらい昔のこと、たぶん昭和20年代の終わりごろ、母に連れられて銀座線で、三越か高島屋の呉服売り場に行った記憶がある。子供の目にも華麗な品々が並んでいた。でも母は着物を買いに行ったのではない。おそらく売りに行ったのだ。
 母は戦前はわりに豊かに育ったが、父親(私の祖父)が大陸に資産を築いていたので、戦後に境遇は激変した。戦後数年たち、母は自分の嫁入り衣装を売って、子供2人を育てる足しにしたに違いない。

 戦前と戦後で、日本はどう変わったのか、昔から私はとても気になってきた。それは理屈ではなく、母の悲しそうな姿のせいだと、母が亡くなった今、悟ったところである。

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2018年7月19日 (木)

麻のシャツ

 練馬は連日のように猛暑日である。どこにも出かけたくない。でも母の五十日祭(仏教の四十九日のようなもの)がもうすぐだし、長女なのでお墓の継承の手続きもしなければならない。○○抄本だの××証明書だの、役所の窓口に行くのもたびたび。

 ネットでこんな麻のシャツを買った。手作りの工芸品や衣類などを扱っているサイトで見つけた。襟ぐりがほどほどで、痩せてしまった私でも大丈夫そうだ。後ろにボタンで留める空きがある。
 さっそく着て郵便局に行ってきた。とても涼しい! 何かアクセサリーを着けようかな。

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(自分で作れるといいですよね。女子校出身なので、昔は洋裁も編み物も、それなりにやりましたが、リウマチになった20年ほど前からは、ずっとご無沙汰です。リハビリだと思って、またやろうかしら)



2018年7月 5日 (木)

『太平洋戦争下の学校生活』   岡野薫子  平凡社ライブラリー

 著者は1929年、東京生まれで、女学校生活と太平洋戦争が、ほぼ重なる世代である。亡くなった母より5歳ほど下で、須賀敦子と同い年。戦争の生々しい記憶を抱えて生きてきた、最後の世代と言えるかもしれない。実は著者は私の出た学校の先輩に当たり、月末にその学校の仲間と、この本の読書会をすることになっている。500ページ以上ある大作だが、読み上げなければならない。

 母は終戦までずっと、「この戦争は正しく、勝っている」と思っていたそうである。兄が軍人だったせいもあるだろうが、この本にあるような教育を受けていたら、そう思い込むほうが普通であったろうと感じた。著者は思い出を感傷的に語る人ではない。当時の勅語や詔書、教科書や新聞記事などを豊富に引用し、記述にはかなりの客観性がある。回想にはこんなものも。

個が抹殺され、そのことでかえって得られる安らかさも、ないとはいえなかった

声を揃えて歌う気持ちよさ。きれいな合唱にするには、心を一つにあわあせなくては駄目である。合唱曲としてのこれらの歌(出征兵士を送る歌など)は、"億兆心を一にする”ために、最大限の力を発揮した

 母の姿を思い出すと、この記述には、ほんとうに納得できるものがある。教育は恐ろしいのだ。まだ読み始めたばかりで、感想らしいことも書けないが、いずれ続きを書きたい。母の子供の世代として次の世代に、伝えなければならないことがあるような気がしてきた。

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(今回の読書会では、前半の3分の1が対象なのですが、それでもけっこうあります)





2018年7月 3日 (火)

母とホーム

 母はうちの近くの有料老人ホームで、88歳から94歳までの6年間を過ごした。法的には介護施設ではなく、コレクティブハウスと言われるところで、行動の制限がほとんどなかった。毎週、訪問歯科医が来てくれ、内科の診察もあったが、医療に手厚いところではない。わりに元気な人が多く、介護保険を使わない人が、全体の半分以上いた。母はその中で目立って虚弱なほうで、最初から仲間と散歩にでかけることなどはできなかったが、食後にオセロゲームを楽しみ、絵や百人一首の会には、認知症が進んだ最後のころまで、よく参加していた。認知症になると何もできないから、収容だけしておけばいいというのは、大きな間違いだと思う。この初夏にはいっそう弱ったので、併設の介護施設に移ることも検討したが、時間がなかった。

 90代になると、3人いた兄弟が次々に亡くなり、古い友人からの便りも途絶えてしまった。ときどき寂しそうにしていたので、うちに帰りたかったのかもしれない。しかしそのうち=家も、入居前にひとりで住んでいた小さな家ではなく、戦前に親兄弟と住んでいた山の手の大きな家に、だんだんなっていった。長生きするのも、なかなか難しいことなのである。

 介護にはいろいろな形がある。また家族の事情もさまざまで、長い間には変わることもある。自宅介護でさえあれば幸せというのは、もう違うだろう。超高齢者が安心して過ごせる環境が、もっと整備されてほしいと、その予備軍として強く思っている。

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(毎月開かれている百人一首の会。母はよく札を取りました。戦前の女学生の教養だったのかも。なおここには、母は写っていません)

«辣韭漬

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